いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

軽トラの荷にひとまずの春野菜(あ)

 地域にご不幸があり、喪服に着替えて挨拶に出かけた。

 これまで地域のためにご尽力されてきた功績に改めて敬意を表するとともに、これからの行く末をお守りくださいと挨拶し永遠の別れを告げてきた。

 70を過ぎたこの年になって「死」を思うことが多くなった。それだけ「死」に近づいたということだろうし、「死」を身近に感じるようになったということなのだろう。

 昔から人は死後どこへ行くということがまことしやかに語られてきた。死後の世界がどのような世界であるか知らない。考えたこともない。知ったところで何になる。何にもならない。

 ただ判るのは、この世と永遠に関係が断たれるということだ。

 それは寂しいか。いや寂しくなんかない。生きたくても生きることを許されなかった人の運命を思うと、そんなものは屁でもない。

 あの世とこの世の境に「死」の淵があり(あったとして)、その淵を跨いで未知の世界を歩き出す。それだけだ。

 

【きょうの一枚】野菜の数々。

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 知り合いの高齢の方から連絡をいただいて、公民館駐車場での野菜販売を許可した。

 以前は知り合いの駐車場に軽トラを突っ込んで野菜を販売していた。その方は、知り合いの方と以前同じ組織に所属していたことがあって、それでお知り合いになったということだった。

 野菜は軽トラに積んできた。私はかつて、その方から薪割りの斧を提供していただいたことがあって、開口一番、薪割り斧が話題になった。

 刃をハンマーで叩きすぎて柄が取れてしまったことについては触れなかった。寒い中でも汗をかきながら薪割りに遣わせてもらってますとだけ答えた。

 その方が積んできた軽トラの荷台に、スーパーでは絶対にお目にかかれないような太くて長い青首大根とレジ袋に入り切らないくらいの大玉の春キャベツがあった。きれいに洗った根深葱もあった。

 目移りするくらいの春野菜がずらり並んで、実際何を買おうかと迷うくらいだった。

 さんざん迷って買ったのは5品で500円。安すぎる。スーパーの買い物ではとてもこうはいかない。こんなんで儲かっているのだろうかと心配になる。

 この寒い中、生産農家さんも大変だ。しかし、一歩ずつ春が近づいて来ているのを感じる。

 ”鳩ぽぽと来てぽぽと去る春隣”じじろう

 今日はお疲れ様でした。

 

【書】「鮑」ホウ・しおびき(No.1,648)

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 魚と、音を表す包(ホウ)とから成る。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)

 正しくは「己」の部分が「巳」でなければいけない。

 

【ディジタル画】『坊つちやん』その7(No.1,088)

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 昨日は教頭、今日は「うらなり」。

 坊ちゃんが勤務することになった旧制松山中学の英語教師「うらなり」。「うらなり」はうらなりの唐茄子のことで、坊つちやんが英語の古賀先生につけたあだ名。

 坊つちやんは唯一の理解者である下女・清に聞いてみたことがある。が、清も「うらなりとは何のことか今以て知らない」らしい。知らないでそれをあだ名にするなんて、坊つちやんもずいぶん乱暴だな。

 

【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.368)

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 江戸の変体仮名第31弾。「ま」の部。

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 『道中膝栗毛発端』挿絵より。

 

【タイムラプス】令和6年1月11日(木)6:49〜9:21の伊豆長岡の空。37秒。

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