玄関の呼び鈴に反応して出たら、女性二人が立っていた。
そのうちの一人がバッグからタブレットを出して、「聖書には今の世の中を予言してこう書かれてある」と画面を見せた。
せっかく自由にできる時間ができたと思ったら、聖書がやって来ました。説明の人は「聖書にはこう書いてある」の一点張り。
暇つぶしにこれ幸いと相手に愚痴った。
平和な世界を願っていながら、世界各地で戦争が起きている。それはなぜか。自分が正しいと思っていることを相手に強いるから、相手も正しいと思っていることを主張して反発する。で、衝突が起こる。互いに正しいと思っているから互いの主張を受け入れられない。結局、自分のやりたいようにやれる世の中がいちばんだと思っている人ばかりだからどうしようもない。悲惨な戦争は二度と起こしてはならないと言いながら何度も戦争を繰り返している。いつの世もそうだ。戦争は国のトップに立った人の主張と主張のぶつかり合いから起こる。
と、普段思っていることを言いまくった。
タブレットで説明しようとした女性は、タブレットをしまい、「ご主人とはまた話す機会があるかもしれない」と言い残して去っていった。
その人もまた、自分の主張を相手がどう受け止めてくれるか打診していたのかもしれない。
なんとなく気が晴れないでむしゃくしゃしていた。そんなときに訪問するんだもの、タイミング悪いよな。八つ当たりもいいとこだ。
【きょうの一枚】整頓した車庫。
整頓? どこが? と言われると身も蓋もないが、これでも年末年始にかけて必死こいて整頓しだんだよ。
特に食器棚。まだ使えそうな食器がしこたまある。が、食器棚はだいぶくたびれた。カミさんと一緒になるときに買ったから、かれこれ40年以上経つな。もとはとっくにとったから、いつ捨てても惜しくない。
てな具合に車庫を整頓したら、カブのタイヤに画鋲を刺してしまった。普段しないことをするからそうなる。
被害はタイヤだけに収まらず、チューブまでやられていた。想定外の出費。教訓、慣れないことはするもんじゃない。
【書】「頭」トウ・あたま(No.1,643)
頁(頭)と、音を表す豆(トウ・ズ。まっすぐ立つ意)とで、首の上に直立する「あたま」の意を表す。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)
【ディジタル画】『坊つちやん』その2(No.1,083)
『坊つちやん』第2弾は、清(きよ)を描いてみようと思った。
「清」は、『坊ちゃん』の家で唯一「坊ちゃん」を弁護する下女である。
結局、3種類描いてみたが、どれもしっくり来ない。みんなきれいな(?)下女のオンパレード。
「坊ちゃん」のやんちゃをすべて受け入れる懐の深い下女が描けない。4作目でようやくそれらしい下女に出会えた。これだ、こういう下女を描きたかったんだ。
そこにただいるだけでほんわかする人、それがモノクロの絵に現れた気がした。
浮世絵のような派手さはないけれど、どこかすっぽり温かみが感じられるような絵になった。
だんだん私の描きたい絵に近づいているような気がして嬉しい。
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.363)
江戸の変体仮名第26弾。「は」の部。
前回は『道中膝栗毛発端』の挿絵に色を付けたが、今回はその絵の続きで、客を相手する店のおかみさんらしい人を描いた。色も勝手に付けてあるが、色はどうしてもくすんだ色になってしまう。
挿絵を描いたのは喜多川月麿という浮世絵師。歌麿門の一人。
【タイムラプス】令和6年1月6日(土)7:11〜9:17の伊豆長岡の空。31秒。
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