図書館から『東海道中膝栗毛』を借りてきて本文を模写している。
去年の暮れからそうしているが、これが遅々として進まない。
そんなことをして何になると思いながら、そんなことをしている。
堅い哲学書ならいざ知らず、たかが江戸の洒落本滑稽本にそんな時間を費やしてなんになる。
時間の無駄遣いもいいとこ。
言ってしまえばそれまでのことだが、でも、これがものすごく勉強になる。
本文が途中から二行に分かれることもさることながら、頭注が充実していて、それに触れるだけでも勉強になる。どういう言葉にどう注解を施しているかがとても参考になる。
頭注は細かい活字で読むのに苦労する。薄暗がりだと年寄りには辛い。その時は部屋を明るくして虫眼鏡を使う。
例えば、「春」という字と、それに似た「舂」という字の区別がつかない。えっ、違う字なの?
「超漢字」で調べたら、「舂」は「ショウ」と音読みすることが判った。「舂米」と書いて「つきごめ」と読ませ、「直ぐ炊げるついた米」であると注を施す。単に「つきごめ」と入力すると「舂米」と正しく変換されなかった。
そんなことをしているから遅々として進まない。でも、手間ひまはかかるけど、これが意外といい勉強になる。いや、本来はこういうのを「勉強」というんだと思う。
【きょうの一枚】庭の白梅。
庭に出てみたらもう梅が咲いていた。早くね? まだ正月飾りが取れたばかりだよ。やはり今年は暖冬なのかな。
でも、この白梅、そこだけ咲き誇っている。
【書】「奮」フン・ふるう(No.1,646)
鳥が大いにはばたく意の〓(シュン。奮から田のパーツを取り除いた形)と田とで、鳥が田から飛びたつ意。ひいて「ふるう」意。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)
【ディジタル画】『坊つちやん』その5(No.1,086)
第二話から、いきなりあだ名が飛び交う。校長は「薄髭のある、色の黒い、目の大きな狸の様な男である」。だから「狸」。教頭は「年中赤シヤツを着ている」から「赤シャツ」。(坊つちやんと)同じ数学の教師で堀田という人がいる。その人は「逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧とでも云ふべき面構である」から「山嵐」。英語の教師に古賀とか云ふ大変顔色の悪るい男が居た。(清に言わせると)うらなりの唐茄子ばかり食べている(らしい)」。だから「うらなり」。画学は「のだいこ」。
ちなみに、全集では「のだいこ」に注解がついていて、それには「野太鼓。吉原以外の地で働く幇間、また、しろうとが内職でしている幇間を蔑んでいう呼称」とある。
これらあだ名で登場した人物について肖像画を描いてみた。何がやりたかったと言ってこれをやりたかった。
で、まずは「校長」から。
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.366)
江戸の変体仮名第29弾。「へ」の部。
ヘマばかりしでかす弥次喜多のご両人。今回は喜多八の不始末を弁護する弥次さん。ツーカーの関係でなければできない。
弥次さんも相棒の不始末を黙って見ていられない質なんだろう。
そんな、ドジだけど憎めないキャラを江戸庶民は愛したんだと思う。
【タイムラプス】令和6年1月9日(火)6:20〜9:40の伊豆長岡の空。24秒。
📸 Facebookでこの投稿を見よう。
https://www.facebook.com/share/v/1vp6k7BaaxR9iibr/?mibextid=WC7FNe