いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

富士の嶺そは赤々と冬纏ふ(あ)

 毎日、絵ばっか描いて過ごしている。

 絵といっても、私の場合、絵具もなければ絵筆もない。紙もなければも画架もない。パレットもなければ筆洗う水もない。

 ではどういうふうにして絵を描いているかというと、iPad proとApple Pencilだけで描いている。ディジタル画だから電気さえ通っていればいつでもいくらでも描ける。

 それをいいことに、好きなときに好きなだけ描いている。

 パソコンの周辺機器が充実してきて、それが可能になった。

 使って便利なものは使うべきだ。

 だから、生成A Iが普及したからといってオタオタすることはない。包丁は料理の食材を切るのにも使えば人を殺める凶器にもなる。使い道を誤らなければいいのだ。まな板と包丁が家庭の台所から消えようが、ファストフード店に若者が群がろうが、それが便利ならそうした方がいい。それだけのことだ。

 私はディジタル画を描く。それは、金を使わずに絵が描けるからだ。iPad ProとApple Pencilさえ使えば絵を描けるからだ。

 便利なものはどんどん使った方がいい。使われることを前提にしてこの世に現れたんだろうから、どんどん使ってやるべきだ。

 と言いながら昔ながらの薪ストーブを焚いてるんだけどね。

 それはそれ。人の好みだからいいんでねえの?

 

【きょうの一枚】冬夕焼の富士山。

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 割り当てられた組のごみ収集所から撮った。写真左側にごみ収集所がある(写真では見えない)。今週後半は私がそのごみ収集所の掃除当番になっていた。

 こんな凛々しい富士山を拝めるんだったら、清掃当番を毎日やってもいい。

 

【書】「謀」ボウ・はかる(No.1,649)

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 言と、音を表す某(ボウ。くらい・おおわれる意)とで、人知れずに「はかる」意を表す。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版) 

 

【ディジタル画】『坊つちやん』その8(No.1,089)

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 昨日は「うらなり」、今日は「山嵐」。

 本名は堀田。坊つちやんと同じ中学の数学教師。

 「逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云ふべき面構である」だって。まるで武蔵坊弁慶だな。「あとで聞いたら此男が一番生徒に人望があるのださうだ」。

 

【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.369)

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 江戸の変体仮名第32弾。「み」の部。

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 『道中膝栗毛発端』』より。昨日の挿絵の左側にあった。それに色を付けた。

 賛は「荵(しの)ぶ草めあてのちがふ隠れんぼ 五返舎半九」。句は、子どもの隠れんぼで、軒につるしたしのぶ草を目あてにさがしたが、目あて違いで見つからなかったの意。五返舎半九は一九門人で芝辺住の菓子商。

 

【タイムラプス】令和6年1月12日(金)6:55〜9:06の伊豆長岡の空。32秒。

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