いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

お世話てふ余計なお世話みかん剥く(あ)

 今日(1/8)は、市消防団の出初式があった。

 久方ぶりにきびきびした動きを見て身が引き締まった。

 大学時代は体育関連組織の幹部だったので、きびきびした動きには慣れていた。逆にきびきびしていないと先輩から喝を入れられた。クエクエと変な叫びをする鵺みたいなムサイ男が登場する「嗚呼!花の應援團」が流行っていた時期である。

 「ガクラン」がその一つの象徴だった。ガクランは、いつ何時何があってもいいように春夏秋冬持ち歩いていた。あんな便利な羽織物はない。学生時代にだけ許される特権だった。

 市長が壇上にいる。登壇して祝辞を述べる来賓の一人ひとりに起立敬礼している。あれっ、そんな人だったっけ?

 不思議な光景を見たような気がした。

 知らぬフリをしてやり過ごすわけにはいかなかったのだろうか。

 市政を営む身としては、そうもいかないのだろう。あとで何を言われるか判らないから、ここは無難にやり過ごすのが賢明だという胸算用が働いたのかもしれない。それとも、見えない市民の声が聞こえたか。

 祝辞を述べる来賓の方々のお言葉に「元日に起きた能登地震」のことに触れない人はいなかった。そして付け加える。「これは決して対岸の火事」ではない。

 よりによってめでたい正月初日の惨事だった。災害はいつやってくる判らない。めでたくてもめでたくなくてもやってくる。私にとっても「能登地震」は決して「対岸の火事」ではなかった。

 元日から身を引き締める年となった。

 さあ、今年は何が起こるか判らないぞ。ともかく、生きているうちは何が起こってもいいようにやれることだけはやっておこう。

 

【きょうの一枚】みかん狩りのお土産。

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 近所の人が地元のみかん狩りに行って来たそうで、そのお土産をいただいた。ありがたい。貰い物だからあまり強くは言えないが皮が薄くて剥きにくい。が、甘い。糖尿にはいただけないと知りつつ、寝る前にたっぷりいただいてしまった。ご馳走様でした。

 

 【書】「頻」ヒン・しきりに・みぎわ(No.1,645)

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 もと、瀕の俗字。頁(顔)と渉(水をわたる意。步は省略形)とで、水をわたるときにできる波紋のように顔にしわをよせる意。のち、瀕(水ぎわ)と区別し、顔をしかめる意を表す。借りて、せまる、「しきりに」の意に用いる。常用漢字は步を歩に改めた。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)

 

【ディジタル画】『坊つちやん』その4(No.1,085)

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 第二話の冒頭「ぶうと云つて汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た」とある。そして「船頭は真つ裸に赤ふんどしをしめてゐる。野蛮な所だ」と続く。そうか、当時はまだ四国へ行くには本州から船で渡らないといけなかったんだ。しかも、着いた所を「野蛮」と一蹴する。そういう自分はどうなんだ?

 で、「真つ裸に赤ふんどし」の男を描こうと思った。で、色気が出た。ふんどしを赤に見せようと、少しばかり赤色を混ぜ込んだのである。

 邪道だが、それくらいのわがままは許されるだろうと思った。

 世界のムナカタが、刷った和紙に裏から色を付けたのを思い出した。

 あの時も志功は先達から「勝手なことをするな」と叱られたが、志功はもともと「わだばゴッホになる」と言って青森を出た人だから、色を付けたくて仕方がなかったのかもしれない。

 芸術家とはそういうものだ。

 

【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.365)

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 江戸の変体仮名第28弾。「ふ」の部。

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 弥次郎兵衛が身重の女房を半櫃 (小型の櫃)に隠しているところへ喜多八がやってきた。そうこなくちゃあ話は面白くない。漫才だね、こりゃ。

 

【タイムラプス】令和6年1月8日(月)6:23〜9:20の伊豆長岡の空。22秒。

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