いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

伊豆石の窪みに青い黴疼く(あ) 

 作夜遅く、カミさんがやって来た。

 バイクを転がして勝手にひっくり返ったのに、一人暮らしは何かと不便だろうからと駆けつけてくれる。ありがたいねえ。

 カミさんは「箱根越え」が嫌いである。特に悪天候の箱根は大嫌い。

 この前の帰りは暗くなるのを待って帰って行ったが、雷雨で大変な思いをしたろう。私の怪我そっちのけで大変だった大変だったとずっと言ってる。

 怖い思いをして帰ったのは本当だろう。だから伊豆に暮らせばいいのにと思うが、そこだけは頑として譲らない。今もずっと神奈川・横須賀の実家で長男と一緒に暮らしている。あの頑固さはなんなんだろう。人のことを棚に上げといて何だが、しまいには勝手にせいとケツをまくる。

 一人暮らしで何が不便かといえば、庭いじりが不便。というと意外と思われるかもしれない。が、シャワー後の絆創膏貼りは一人でもできる。洗濯も買い物も掃除も一人でできる。一人でできないのは庭いじり。しかも庭木の剪定。

 脚立をかけて枝を剪るが、剪定バサミを手にしたまま脚立から滑り落ちる可能性がある。落っこちたら、そのまま干からびてあの世行きだ。その時の叫び声で駆けつけてくれる連れ合いがいるから安心して庭いじりができる。

 というわけで、庭いじりは連れ合いが危機を知らせてくれるという前提があるからできる作業なのである。

 だから私は、連れ合いがいないときは脚立に上らない。暑いからではない。危険だからやらないのである。

 

【きょうの一枚】絆創膏。

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 これは百均ではなくスーパーで買った。5枚入377円。やっぱ百均の方が安いわ、2枚入100円だもの。どうせ、使い捨てだったら百均の方がいいか。

 シャワーを浴びた後、買ってきた絆創膏に薬を塗って貼り付ける。折れた骨はまだひっつかない。

 

 【書】「称(稱)」ショウ(No.1,516)

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「禾と〓(ショウ。稱から禾のパーツを取り除いた形。持ち上げる意)とで、いね束を持ち上げてかぞえる意、ひいて「はかる」「かなう」「となえる」「あげる」意を表す」(『旺文社漢字典第2版』) 

 

【ディジタル画】『彼岸過迄』須永の話二十六(No.956)

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 須永は母を鎌倉に残して、一人東京に戻って来た。

 戻って来て何をしたかというと、女中の作(さく)を手伝わせて書架の整理を始めた。作の年は19。若いねえ。

 『それから』の代助は、かつて「銀杏返し」に結っていた三千代の面影を追い求めている。

 

【昭和の風景】東海道五十三次「島田」白黒。(No.236)

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 東海道五十三次も、とうとう島田までやって来た。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」の、あの島田宿である。

 当時の大井川は、大雨が続くと増水で川を渡れず、何日も「川止め」を食らったという。

 自然災害の猛威を肌で感じ、ひたすら雨が止むのを待っていたんだろうなあ。雨上がりの富士山は、増水した川を渡る旅人にどう映っていたのだろう。

 

【タイムラプス】いけね、撮り忘れた。

 キーボードで調子よく「令和5年9月1日(金)」と打って、はたと気づいた。いけね、タイムラプス撮ってなかった。

 初のリハビリ治療を受けて病院から戻ってきた矢先だった。

 カミさんが2階でもそもそ動いている様子で、あらかた洗濯物でも干しているのだろうと思って、まあいいやそれが終わったらタイムラプスのセッティングしようと思っていたら、すっかり忘れていた。

 どっこらしょと腰を落ち着かせると、もういけない。すべきことをすっかり忘れている。耄碌したなあ。