いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

新春も肩身の狭し物価高(あ)

 いつも行くスーパーにキャベツがあった。一個39円は安い。と思ったら一個397円だった。高い。

 帰ってテレビを点けたらもっと驚いた。一玉1000円だって。高すぎる。だったら買わなかった。

 物価の値上がりに市況も苦慮している。巷のトンカツ屋も商売上がったりで、この分じゃやってけないという声も聞く。

 が、ために年金を上げるとは聞かない。金のない老人は社会のゴミだ、とっととくたばれと言わんばかり。トンカツを食いたいんだトンカツを食わせろ。

 

【書】『笈の小文』 22(No.2,013)

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「跪はやぶれて西行にひとしく、天龍の渡しをおもひ、馬をかる時はいきまきし聖の事心にうかぶ。山野海浜の美景に造化の功を見、あるは無依の道者の跡をしたひ、風情の人の実をうかがふ。猶、栖をさりて器物のねがひなし。空手なれば途中の愁もなし。寛歩駕にかへ晩食肉よりも甘し。とまるべき道にかぎりなく、立べき朝に時なし。…」
(訳:私の旅も長いので、かかとが傷ついていることは、あの西行に似ており、それにつけても、西行の「天龍のわたし」の苦しみを思い、また馬を借りるときは、『徒然草』に出てくるいきまいた上人の話が心に浮かぶ。山野・海浜の美景に、、自然を作りなせる神のみわざのみごとさを思い、また一切の執着を断ち、身を行雲流水と思い捨てた人の跡をしたい、風雅を愛した人々の心にもふれる。なおまた、住みかも捨て去った身であるから、器物をたくわえようとの願いもない。無一物であるから、道中盗人におそわれる不安もない。駕籠に乗るかわりに、疲れないようにゆっくりと歩き、空腹になってからおそい夕食を食べれば魚鳥の肉よりも美味である。なんのあてもない旅だからどこで泊まらなければならないとという道程の制限もないし、朝何時に立たなければならないという定めもない。…)

 何の制限もない旅か。憧れるけど、それなりの覚悟が必要なよな。これは、芭蕉みたいな無欲恬淡な人なればこそできる技であって、物欲の塊みたいな我が身にはとてもできません。少なくとも、こっちのスーパーの方がキャベツが安いなんて言ってるようじゃ話にならん。


【昭和の風景】津軽弁(No.)

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「おらえさ ねがたら むげの えがら かいで こい。」
「うちに なかったら 向かいの 家から 借りて 来い。」の意。


【タイムラプス】令和7年1月7日(火)6:54〜9:24の伊豆長岡の空。37秒。

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