【きょうの一枚】イサキとアジの塩焼き。
組長さんに釣り好きの人がいて、その人が拙宅まで届けてくれた。
ありがたいねえ。こういう人を大事にしないといけない。
フォークの神様と崇め奉られた岡林信康さんは、こういうのを嫌ったが私は大好き。田舎のお節介ベタベタ、最高。
釣った魚はご本人自らさばいたのだろうか。内臓のはらわたがきれいに取り払われていました。
ごっつぁんです。
カミさんとイサキを塩焼きにしていただきました。イサキは夏の高級魚。味が淡白でしつこくない。「土用のうなぎ」と真逆。私はどちらかと言ったらうなぎよりイサキの方が好きですね。
イサキの皿の向こうは、交通指導員の弁当。揚げ物ばっかで食い残した。
【書】「過害」カガイ(No.1,501)
「わざわい。災難。過殃。」(『旺文社漢字典第2版』)
「過」は、辶(歩行)と、音を表す咼(カ。多い意)とで、行きすぎる意。ひいて、度をこす、また「あやまち」の意。
「害」は、頭にかぶるかぶりものをつけたさまで、頭にかぶせる意を表す。借りて、「そこなう」意に用いる。
【ディジタル画】『彼岸過迄』須永の話三(No.941)
須永の生い立ちが語られる。
父は「僕がまだ親子の情愛を能く解しない子供の頃に突然死んで仕舞つた」。
親父は突然死ぬのがいいらしい。あとの全ては母親が引き受ける。
そういう点では俺は少しく長生きしすぎたかもしれない。母親と違って父親は子供に煙たがられる。長生きをしたからといって家庭になんの恩恵ももたらさない。いればかえって邪魔なだけ。
男は、家庭を持ったらとっとと死ぬに限る。老いさらばえたところでなんの得にもならない。
男が死ねば連れ合いは悲しむ。男の代わりに稼いで息子娘を一人前に育てなくてはいけない。その重圧がのしかかってくるから連れ合いは悲しむ。そして、悲しむ母親を見て子供は悲しむ。父親が死んだから悲しいのではない。父親が死んで母親が悲しがっているのを見て悲しむのである。
【昭和の風景】221
「三島」白黒。
「箱根」の次は「三島」ですね。
神奈川・藤沢と伊豆を行ったり来たりする生活をするようになってから、箱根から三島へ下る旧街道に、随分人を見かけるようになった。が、それも、山城の山中城跡を迂回するように、別ルートの新道がスカイツリー側を走るようになったことで、旧街道の石畳を見る機会もめっきり少なくなった。それがとても残念です。ああ、山中城跡を通るルートを歩きたかったな。
鳥居は三島大社のそれだろうか。とすれば、左にいる一行は沼津まで行く旅人ということになるか。いずれもそれらが全てシルエットで描かれているところがすごい。いかにも朝霧たちこめる三島宿、といった雰囲気が出ている。
【タイムラプス】7/28(金)6:12〜9:26の伊豆長岡の空。24秒。