いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

荒れ果てた我が庵にも百日紅(あ)

【きょうの一枚】サルスベリ(百日紅)。

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 庭の百日紅。

 うちの百日紅はピンクの花を咲かせる。枝の先に鈴がシャンシャン鳴るように咲く。

 周辺の百日紅はあらかた満開だが、うちのは晩生でこれからのそのそ咲き揃う。

 花期が長いため「百日紅」の漢名があるという。が、そんなに花期が長いという印象はない。

 

【書】「箕裘」キキュウ(No.1,508)

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「祖先の業を見習い受け継ぐ意。弓師の子は弓作りを見習って柔らかい柳の枝をまげて箕(み)を作ることを学び、鍛冶師(かじシ)の子は鍋釜(なべかま)の修繕をまねて柔らかい皮で裘(かわごろも)を作ることを学ぶ。<礼記・学記>」(『旺文社漢字典第二班』)

「箕」は、竹と其(キ。みの形)とで、竹で編んだ「み」の意を表す。

「裘」は、求(キュウ。かわごろも・もとめる意)に衣を加え、求と区別して、「かわごろも」の意に用いる。

 

【ディジタル画】『彼岸過迄』須永の話十(No.948)

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 須永は田口家で千代子から、以前千代子に描いてやった画を見せられる。お嫁に行くときに一緒に持っていくのだという。「そんな下らないものは持つて行かないが可いよ」と須永は言うが、嫁ぎ先まで持っていくと聞いて、須永は内心、嬉しかったのではないか。

 そこへ千代子に電話がかかってくる。千代子は風邪を引いて咽喉が痛いから代わりに話してくれるよう須永に頼む。相手の声を聞くだけ聞いて、話すのは須永が引き受けるという。そんな芸当ができるんだろうか。単に須永は千代子におちょくられているだけなんじゃないのか。

 

【昭和の風景】228

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 「吉原」色付け。

 一頭の馬に三人乗ってる。これを、「三宝荒神」という。

 三宝とは「仏・法・僧」のこと。荒神とは、特に竈(かまど)の神様として近世に広まった。

 そういえば、隣町には「荒神社」というお社があって、地元の人は「こうじんさん」と親しみを込めてそう呼ぶ。世界遺産に登録された反射炉の近くにある。

 私はかつてここの大祭へ出かけたことがある。開催曜日は定まっておらず、月日だけが定まっている。その年は確か2日目の1月28日に出かけたのだったか。鳥居までの田圃道に屋台が所狭しと並び、突き当たりの急階段を上り切ったところに社務所がある。そこまで上って新しいお札を買い、旧いお札を奉納する。

 竈の神様と聞いて、台所の神様としてお札を買いに出かけたのだが、買ったのはお札ではなく三角くじのほうだった。300円。そのくじで保冷バッグを当てた。その保冷バッグは冷凍食品を入れるのに今でも重宝している。さしずめ私の場合、竈の神様は保冷バッグということになる。

 それにしても街道の道幅が狭い。昔は天下の東海道もこんなに狭かったのだろうか。この狭さだとただすれ違うだけでも難儀したんじゃないかな。

 白黒の輪郭を描くときはペンシルの威力も十分発揮していたのに、いざ色を塗る段になるとペンシルが臍を曲げてしまった。で、色は指で塗った。

 

【タイムラプス】8/4(金)6:30〜9:07の伊豆長岡の空。39秒。

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