順調だった模写が、ここへきて滞っている。それどころじゃない問題が次々と噴き出ているからだ。
精神的に苦しい状態に追い込まれている。
自分のことを考える余裕がない。
これはえらいことになったぞ。
立場上、区内の苦情をあれこれ耳にするけど、それを一つひとつ聞いていたら体がいくつあっても足りないことがようやく判ってきた。
この前は、ごみ収集所のドアの開け閉めがうまくいかないから直してくれとの苦情を電話でいただいた。カブで駆けつけたら、ストッパーが曲っていて、それが不具合を起こしていた。家に戻ってハンマーとタガネを持ち出し、再び現地に飛んでとんちんやったらなんとか開け閉めができるようになった。
かと思えば、カンカン照りなのに家の前のU字溝の溝から水が漏れているので市に掛け合って原因を調べてほしいと言ってきた。早速駆けつけると、果たして水が漏れている。漏れているというか、コンコンと湧き出ている。で、写真を撮ってその足で市役所へ向かう。
そして今日(8/3)、公民館へ行こうとして道に飛び出たら、近所のクレーマーおばさんに呼び止められて、回覧文書を今すぐ回せと言ってきた。回覧し終わるまで少なくとも二週間は見ておいたほうがいいですよと柔らかく言ったつもりが、相手はそれをつれない返事と受け止めたらしく、もういい頼まないと臍を曲げてデリバリー先に車を走らせた。
まあ、いろんな人がいるわなあ。いろんな人がいるから面白いんだけど、その面白さに自分の度量が対応できない。
【きょうの一枚】土手の提灯。
伊豆長岡の温泉場まで行くには、狩野川を越えなければいけない。
駅を背にして狩野川の向こうには旅館・ホテルが建ち並ぶ。で、反対岸から打ち上げる花火を愛でる趣向になっている。土手には提灯がぶら下げられ、お祭りの日はその下にたくさんの屋台が並ぶ。
次の日も同じ場所から花火が上がるが、主催が異なる。それは市合併前の旧町だった頃の名残だ。同じ市になったのだから仲良く同じ日にすればいいのにそうしない。どうも花火には旧町のギラギラ燃えるライバル意識が存在するようだ。合併はしたものの、燃えたぎる魂だけは譲れないといったところか。
経済効果を考えれば一緒にやったほうがいいに決まっているが、こればかりはお金の問題ではないのだろう。意地の張り合いだ。
【書】「漢土」カンド(No.1,507)
「①漢民族の住む地域。②[国]広く中国をいう。もろこし。唐土。」(『旺文社漢字典第二班』)
「漢」は、氵(水 )と、音を表す〓(カン。漢から氵を取り除いた形)とで、川の名、ひいて、その流域の名、それに基づいた王朝の名。転じて、中国本土、またその民族の名に用いる。
「土」は、土地の神を祭るために盛り上げた土柱の形にかたどり、もと、土地の神の意、ひいて「つち」の意を表す。
【ディジタル画】『彼岸過迄』須永の話九(No.947)
須永が田口の家へ行くと、その日は千代子一人しかいなかった。千代子は「風邪を引いたと見えて、咽喉に湿布をしてゐた。(中略)一人ぼつちで妙に沈んでゐる姿を見たとき、僕(須永)は不図可憐な心を起した」。
女は病弱気味なほうが色っぽく見える、のだろうか。
【昭和の風景】227
「吉原」白黒。
東海道を西に向かうと、常に右手に富士山を見ることになる。ところが吉原からは街道が大きく湾曲していたため、富士山は左側に見えた。それを「左富士」という。吉原はその左富士の名所として栄えた。
【タイムラプス】8/3(木)5:41〜8:37の伊豆長岡の空。22秒。