いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

つぎはぎの道の割れ目の残暑かな(あ)

 平岩弓枝さんの「御宿かわせみ」の第一話「恋ふたたび」の模写終了。初出は昭和五十七年というからざっと数えて今から四十年ほど前になる。

 それに並ぼうというのだから烏滸がましい。とてもじゃないけどあんなの書けない。無理むり。

 入院中も暇にあかせてずっと模写を続けた。wi-fiのない病院だったからiPadの操作に苦労したけど、文章の修行ということに関してはなんとかなった。

 修行だからなんとか続いたけど、同じ土俵で闘う人としてみたら、とんでもない雲の上の人だと判りすぎるほど判った。

 その力量の凄さは途中からずっと感じてはいたが、でも途中でほっぽらかすわけにはいかなかった。幸い、有り余る時間が奏功した。だって、他にやることないんだもん病院って。それこそ、痛いところに手が届くようにするのが病院だから、痛いといえばすぐにナースが飛んでくる。トイレといえば点滴してようがしてまいが飛んでくる。夜中でも飛んでくる。

 それが修行の妨げになった。だから、多少痛くても我慢した。修行には痛みが伴うと覚悟した。

 それにしても、だ。

 文章がうますぎる。

 どうすればあんなに上手く書けるようになるだろう。そんなことばかり考えていた。

 結論。いろんな作品に目を通すしかない。ジャンルは問わない。どんな本でも片端から乱読する。そして下手なりに書き続ける(ブログのこと)。それしか道はないと悟った。

 

【きょうの一枚】家の前の道。

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 奥の道が緩やかに右にカーブしている。 

 私の家は、その曲り端に建つ青い家の手前になる。庭にピンクの百日紅が咲いていて、それが目印だ。が、目印にならない目立たない。

 それにしてもこの道路、見事につぎはぎだらけのパッチワークだね。

 道路右のカイヅカイブキは向かいのホテルの植え込み。ホテルは現在休業中なので、植え込みの手入れをする人がいない。だから伸び放題で先端が道に覆いかぶさるようになってきた。営業してなくても木は勝手に成長するからねえ。

 写真は、スーパーの帰りに、富士山を背にして撮った。手前の前かごは転けたバイクのもの。実は、カミさんに内緒でバイクに乗っているのです。カミさんに知れたら、きっと「何考えてんの?」と言うに決まってるから言わない。

 

【書】「斉(齋)」セイ(No.1,521)

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「穀物の穂が出そろったさまにかたどり、そろう意、ひいて「ひとしい」「ととのう」意を表す。」(『旺文社漢字典第2版』) 

 

【ディジタル画】『彼岸過迄』須永の話三十一(No.961)

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 千代子が須永の母を連れて東京に帰って来た。

 で、一足先に東京に帰って来ていた須永の家に泊まる。

 須永は従妹の千代子の様子が気になって仕方がない。そして思う。千代子があえて高木(千代子の結婚相手)のことを話題にしないのは、僕(須永)に遠慮して故意に話題にしないのだと。

 そのことに僕(須永)は苦しむ。苦しんで寐られないでいることを千代子に知られたくなくて寐返りも打てない。千代子は母と1階に寝ている。須永は2階に寝ている。

 たぶん、千代子は僕が寐られないでいることを知っている。

 どうも千代子という女が、男心を弄ぶ魔性の女のようにみえてきた。

 今回は鎌倉の大仏をシルエットで描いて、それに茶系の色を上塗りした。夜の鎌倉大仏のイメージです。月は出てないけど。

 

【昭和の風景】東海道五十三次「日坂」色付き。(No.241)

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 山道に転げ落ちた岩が急峻さを物語る。こんなのに押しつぶされたらひとたまりもない。川を渡るのも大変だったろうけど、険しい山道の上り下りも大変だったろう。

 こうしてみると、昔の旅は命懸けだったことがよく判る。

 

【タイムラプス】令和5年9月6日(水)6:27〜8:43の伊豆長岡の空。34秒。

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