いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

爺の小屋守るや白き百合の花(あ)

 今日は「きにゃんね祭り」。友達と祭りに行くんだとソワソワ衣装を整えていた孫娘のことを思い出す。どうしてるかなあ。元気にやってるかなあ。

 などと出先で考えていたら、突然の夕立に見舞われた。

 急いで家に戻り、干してあった洗濯物を家に取り込む。窓をガタピシ閉め回る。

 お祭り当日まで雨が降るかもしれないと、外に積んであった畳を部屋の中に入れたのが、きのう。お祭り顧問からの連絡を受けてそうした。

 良かった間に合った畳を濡らさずに済んだ。ホッと胸をなで下ろす。

 夜になって雨はあがったが、「きにゃんね祭り」はどうしたろう。花火を打ち上げる音が聞こえてたから、やったんだろうな。

 明日は修善寺、明後日は韮山、明明後日は伊豆長岡で花火が上がる。連夜の狩野川打ち上げ花火で夏の祭りは最高潮。そして土曜は我が地区の夏祭りだ。

 3年間中止に追い込まれた夏祭りだけど、猛暑を吹き飛ばすような情熱で復活させてほしい。ぴーひゃらどんひゃら祭りだわっしょい。

 

【きょうの一枚】シラユリ(白百合)。

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 庭にこしらえた小屋の前に咲く。

 この時期、庭に咲く百合といえばタカサゴユリが殆どだが、タカサゴユリは花弁に赤紫の筋がくっきり見える。が、これにはない。でもって白百合と判断。

 タカサゴユリは、縞柄の和服を着た、どこか落ち着きのある大人の雰囲気を感じるが、シラユリは、触れてはいけない純白な乙女のイメージがある。それかどうか知らないが、全国的に私立の女学園や商店の名に冠せられる。ちなみに花言葉は「純潔」。 

 むさ苦しい我が庵の庭にも、とうとう愛くるしい白百合が咲くようになったか。そういうこともなけりゃ、七十年も生きてられないわな。

 

【書】「蓋車」ガイシャ(No.1,505)

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「日おおいをつけた車。」(『旺文社漢字典第二班』)

「蓋」は、艹(草)と〓(コウ。蓋から艹を取り除いた形。カイは変化した音。器にふたをする意)とで、草のおおい、ひいて「おおう」意。借りて、助字に用いる。

「車」は、もと、馬に引かせる二輪車を上から見た形にかたどり、人の乗る車の意を表したが、のち、字形を車に省略し、「くるま」の総称、ひいて、軸を中心にして回転する輪、また、輪の形をしたものの意に用いる。

 

【ディジタル画】『彼岸過迄』須永の話七(No.945)

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 ある日、須永が田口家へ遊びに行ったとき、妻を娶る話になった。相手はもちろん田口家の千代子である。

 ところが、千代子は須永のところへ来たがっていない素振り。

 同じ屋根の下で一緒に暮らしていると、家族愛は深まっても、男と女の恋愛までにはなかなか発展しないようです。夫婦なんて、もともと赤の他人同士なんだから、ある意味それは仕方がない。

 隠し立てせずなんでも話し合えるのが家族なら、隠し立てして知らぬ顔の半兵衛を決め込むのが夫婦と心得る。

 

【昭和の風景】225

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 「原」白黒。

 美女が振り返るほどに富士山が見事。

 富士山を拝むには、三島よりも、沼津よりも、この原海岸から見るのがいちばんいいかもしれない。

 原海岸で一度だけ投げ釣りをしたことがある。その頃投げ釣りに凝っていた私は、釣りの師匠の案内でいろんな所へ連れて行ってもらった。その一つが原海岸。背後に大きな富士が見えたかどうかは記憶にない。記憶にあるのは、投げた糸がぐんぐん沈んで行ったことと大型漁船が当たり前のように波打ち際のすぐ沖を横切っていたこと。駿河湾がそれだけぐんと深くなっているんだということが一目瞭然に判った瞬間だった。

 

【タイムラプス】8/1(火)5:47〜10:12の伊豆長岡の空。32秒。

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