【きょうの一枚】ツブ貝。
ホームセンターに挟まれる格好で魚屋がある。
今日、ホームセンターに用があって出かけ、ついでに魚屋を覗いたらツブ貝があったので衝動買いした。
ツブ貝は青森にいるときずいぶん食った。青森で売られていたツブ貝は砂ツブで、身がでっぷりと肥えていて食いごたえがあった。
青森ではこれを醤油で野菜と煮つける。生の刺身では食わない。
写真のツブ貝は、殻にフジツボを背負ってるから岩場のものだろう。
私は鮑(アワビ)よりツブ貝の方が好きだった。今でも、ツブ貝とアワビとを出されたら、迷わずツブ貝を選ぶ。まあ、好みの問題だけどね。私は、コリコリした歯触りよりも、和田寛の醤油が染み込んだツブ貝が好きというだけのことです。
【書】「監視」カンシ(No.1,506)
「気をつけて見張る。監督して取り締まる。」(『旺文社漢字典第二班』)
「監」は、水を入れたたらいと大きく開いた目とうつむいている人とで、人が水かがみを見る意、ひいて「かんがみる」意を表す。鑑の原字。
「視」は、見と、音を表す示(シ。ある位置にとどめる意)とで、目を止めてじっと「みる」意を表す。
【ディジタル画】『彼岸過迄』須永の話八(No.946)
ある晩、千代子が習いたての手料理を振る舞うというので、須永は田口家に長居した。
食事の後、須永は田口に誘われるままに囲碁を打つ。
私も囲碁を打つ。ヘボだけど。
親父が生きていた頃は、帰省するたびに親父と囲碁を打った。大抵は私が白で親父は黒だった。対局は暗黙の了解で、普通上級者が白石を持ち、格下が黒石を持つことになっている。格上か格下かは打てば判る。ちなみに私は親父に負けたことはない。
生前の親父は私と囲碁を打つのを楽しみにしていたらしい。私が長旅で疲れているにもかかわらず、私を捕まえては「一番」と言って碁をせがむ。東京(神奈川)ではどういう暮らしをしているのかとかは一切訊かない。ひたすら「一番」と迫る。
そういう親父だったが、私が平塚のアパートで暮らしていたとき、家に置いてあった狸の剥製を風呂敷に包んで持ってきてくれたことがあった。その狸の剥製は親父が知床で鮭漁をしていた頃、いかがわしい業者から買ったものだった。囲碁を打ちながら、私が何気なくあれが欲しいと言ったら、わざわざ平塚まで持ってきてくれたのだった。
以来、狸の剥製は我が家の家宝となって下駄箱の上に君臨していた。それが伊豆に住むようになってからは外の小屋の守り神となっている。そのお宝は今も小屋で煙管をくわえながらふんぞりかえっている。
【昭和の風景】226
「原」色付き。
富士山はいつ見ても凛々しいねえ。日本一の山だ。
富士山に憧れてここに住むことにしたけど、こうして毎日いろんな富士山の顔を拝めるだけでもう幸せ。
ここを終の住処と定めたのは間違いではなかった。
【タイムラプス】8/2(水)6:09〜7:57の伊豆長岡の空。26秒。