もう年だから運転免許はいらないと思っていた。ところが、なければないで不便なことこの上ない。それがここ数日、車免許のない生活をしてみて実感した。
買い物に行くにも病院に行くにも、車があればついそれに頼ってしまう。交通網の張り巡らされた大都会では必要ないと思うかもしれないが、田舎ではそうはいかない。最寄り駅まで歩いて30分というのはザラにある話だ。しかも路線バスがない。
幸い、今住んでいる場所は、歩くと最寄り駅まで15分もあれば着く。が、みんなは歩かないで車を頼る。スーパーの重い買い物袋をぶら下げて坂道を登り帰るのはしんどい。その点、車ならいくら重くたって訳なく運んでくれる。お米だってお酒だって車に積めばノーブロブレム。
市は現在、乗合タクシー運動を推進していて、この地区はそれに該当する。高齢者の足が奪われないよう区の委員会中心に推進運動をしているが、その運動がなかなか浸透しない。それは歩こうと思えば歩ける距離に鉄道駅があるということと、駅周辺に駐車場完備の病院・スーパー・公共施設などが集中していることが大きく関係している。
だから、ここの住民は敷地に数台駐車できるスペースを必須で設けて車を足代わりに使う。それだけ地価が安い。
そういう動きがあるから、市がいくら旗振りしても住民は知らぬ顔の半兵衛を決め込む。住民は常に動かせる車を所有しているから不便さを感じない。
車がない不便さを肌で感じれば少しは違った動きが生じるかもしれない。が、今のところはそれが喫緊の課題という状態にない。
【きょうの一枚】庭のサンジャクアヤメ(三尺菖蒲)。
つい先日まで蕾だった三尺菖蒲が、きょう見たら咲いていた。
こいつは丈が小ぶりだから可愛い。普通の菖蒲は花びらをべろりと垂らして艶っぽいが、こいつはそこまで艶っぽくない。女になりきれない乙女のいじらしさがある。
【書】「富厚」フコウ(No.1,418)
「豊かなこと。財産の多いこと。富裕。」(『旺文社漢字典第2版』)
「富」は、宀(家)と、音を表す畐(フク。フウは変化した音。満ちる意)とで、家がざいに満ちて「とむ」意を表す。
「厚」は、厂(がけ)と、音を表す㫗(コウ。享の変化した形。大きい意→洪)とで、土があつく重なったがけの意、ひいて「あつい」意を表す。
【ディジタル画】『門』十八の七(No.858)
宜道と、宜道から話のあった居士と、宗助の三人で、食後、囲炉裏の傍でしばらく話した。そのとき居士は面白いことを言った。
「自分が坐禅をしながら、何時か気が付かずにうとうとと眠つて仕舞つてゐて、はつと正気に帰る間際に、おや悟つたなと喜ぶことがあるが、さて愈眼を開いて見ると、矢つ張り元の通の自分なので失望する許(ばかり)」なのだとか。
それを聞いて宗助は笑う。こういうふうに気楽に坐禅している人もあるんだと寛ぐ。
坐禅をどこかしら堅苦しく捉えていた私も、これでいくらか心和らいだ。
【昭和の風景】140
津軽凧絵。
髪の毛を「ハード鉛筆」ブラシで描いたが、いまいちしっくりしない。なんか違うんだよねえ。どういうふうに描けば違わないんだろ。
こんなふうにいろいろ試行錯誤を繰り返していると、まるで退屈しない。てか、一日があっという間に過ぎてしまう。
【タイムラプス】5/6(土)5:11〜7:21の伊豆長岡の空。32秒。
【新型コロナ】5/6(土)23:55現在(Yahoo!ニュースより)
<国内>
新規感染者数→6,204(前週同曜日比−6,896)
累計感染者数→33,795,212
死亡者数→74,665(同日比+10)
<静岡県>
新規感染者数→79(前週同曜日比−126)