先日、丘の上に引っ越してきた方がおられて、そこへの挨拶を兼ねて近所をぶらり散歩することにした。きのうで運転免許を失効したということもある。
その人の家にたどり着くまでに、いろんな宅の前を通った。
庭の小枝を束ねている人、生垣を剪定鋏で整頓している人、勝手口から出てきてゴミをまとめている人、芝生の庭でバーベキューをしている人などなど、いろんな方がいろんなふうに連休を楽しんでいた。最近は、お金を出して遠出するより近場で連休を過ごそうと考えるお方が増えているのかもしれない。
新しく来られた方は、このGWを利用して引っ越し荷物を運搬すると組長さんから聞いていた。で、台帳を持って挨拶に行ったら既に引っ越しを済ませて家でくつろいでいるふうだった。
珍しい苗字だったので思い切って訊いてみた。そうしたらドンピシャ、数年前お手伝いに出ていた中学に通っていた子のお母さんだった。
これも何かのご縁ですね。これからもお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
【きょうの一枚】晩酌の二皿。
肉がない。
特に菜食派というわけではないが、先日声をかけていただいたバーベキューで肉をしこたま食ったので今回は控えた、てな按配。
というわけでもないだろうけど、最近どうも肉を食いたいと思わなくなったんだよね。年取ったせいかな。
【書】「備荒」ビコウ(No.1,417)
「凶作や災害に備えて用意すること。」(『旺文社漢字典第2版』)
「備」は、人が矢を入れて用意するえびらを背負うさまで、物事の用意をする、「そなえる」意を表す。
「荒」は、艹(草)と、音を表す〓(コウ。荒から艹を取り除いた形。おおい隠す意→莽)とで、雑草が地をおおう、ひいて「あれる」意を表す。
【ディジタル画】『門』十八の六(No.857)
宗助が眼を覚ますと「枕元の障子が何時の間にか明るくなつて、白い紙にやがて日の逼(せま)るべき色が動いた」。茶の間へ出ると既に「若い僧が竈の前に蹲踞(うづく)まつて、火を焚いてゐた」。釈宜道さんである。
「見ると彼は左の手で頻りに薪を差し易(か)へながら、右の手に黒い表紙の本を持つて、用の合間々々に夫を読んでゐる様子であつた」。
釈宜道さんが読んでいたのは『碧巌集』。主として臨済宗で用いる経本という。
宗助は考える。「当途(あてど)もない考に耽つて、脳を疲らすより一層其道の書物でも借りて読む方が、要領を得る捷径(ちかみち)ではなからうか」。
すると宜道はその考えを一も二もなく排斥する。「書物を読むのは極悪う御座います。有体に云ふと、読書ほど修行の妨になるものは無い様です」。
だからといって騙されてはいけない。読書は修行の妨げといいながら当の宜道さんだって食事の用意をしながら読書をしているではないか。漱石も『碧巌録』を蔵書として持っている。
【昭和の風景】139
津軽凧絵の背の色はたいてい赤ですね。
構図といい配色といい、武者絵をディジタル画で描くポイントが見えてきました。でも、好きに描くようになるまでにはまだまだ遠い道のりです。
【タイムラプス】5/5(金)7:06〜9:42の伊豆長岡の空。38秒。
【新型コロナ】5/5(金)23:55現在(Yahoo!ニュースより)
<国内>
新規感染者数→5,817(前週同曜日比−5,581)
累計感染者数→33,788,948
死亡者数→74,655(同日比+12)
<静岡県>
新規感染者数→85(前週同曜日比−96)