いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

鎌首をもたげ空へと夏の草(あ)

 きょうはポカポカ陽気で、孫娘にせがまれて物置小屋からハンモックを取り出した。
 道の向こうの桜が花吹雪となって我が庭を訪い、揺れるハンモックを包み込む。孫娘は気持ちよさそうにハンモックに揺られ、iPhoneで軽快な音楽を流している。
 お兄ちゃん? お兄ちゃんは部屋にこもってネットゲームを楽しんでいる。時折、あっとかおっとか叫んでいる。小学生の時からずっと仲良しだった子と時間を共有できるのが楽しくて仕方がないらしい。ときおり近況報告もし合っているようだ。
 私はプランターの土を耕して、そこにサンチュの種を植えた。サンチュは移植すると育たない。去年判った。だから、今年は苗を間引きして大きく育てることにした。
 GWの前にはミニトマトを植える。トマトは連作障害があるから去年の土は使えない。新しい土を買ってきて鉢に植える。鉢は腐るほどあるから困らない。5株ほども植えればいいだろう。これで毎朝新鮮なミニトマトを頬張れるんだから、これほど贅沢なことはない。ぐふふ、楽しみ楽しみ。


【きょうの一枚】初めて見るキノコ(茸)。

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 庭の草むしりをしていたら、こんなのが顔を覗かせた。
 最初、蛇かなと思った。鎌首をぬっともたげた蛇。が、まるで動く気配がない。近くにあった棒で雑草をかき分けて、ようやくそれがキノコだと判った。脅かすなよ、びっくりするじゃないか。


【書】「忘我」(No.1,028)

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 「①うっとりしてわが身を忘れる。②自分一人のことを考えない。損得の心を忘れる。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「忘」は、心と亡(ぼう。なくなる意)とで、心からなくなってしまう、「わすれる」意を表す。
 「我」は、ぎざぎざの刃先を付けた戈(ほこ)の形にかたどる。借りて、「われ」の意に用いる。


【ディジタル画】『三四郎』 30(No.468)

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 三四郎の魂がふわつき出す。大学の池の端であった女=野々宮の妹を見舞った病院であった女が気になって仕方がない。そうしてふわふわした状態であちこち歩く。田端→道灌山→染井の墓地→巣鴨の監獄→護国寺、そしてとうとう新井薬師までも行ったというから健脚だ。
 散歩はいい。気持ちがふわつき出したら散歩するに限る。
 私も昔は三島から田京まで歩いたりしたこともあったが、今はからきし元気がない。今度、薫風爽やかな新緑の季節にでも、狩野川の土手を歩いてみますか。
 今回はお地蔵さんの質感を出すのに「木炭」ブラシを使ってみました。 


【タイムラプス】4月9日(土)7:15〜9:43の伊豆長岡の空。36秒。

https://www.facebook.com/1298610339/posts/10228188684524509/?d=n


【新型コロナ】4/9(土)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→51,953(前週同曜日比 +2,692)
重症者数→484(前日比 −10)
累計死亡者数→28,604(前日比 +69)