久々に図書館に行った。で、『大人が絵本に涙する時』の続きを読む。
きょう読んだところにターシャの絵本が紹介されていた。そこには、
「アメリカの北東部で自然を愛して暮らす生活をそのまま絵本に反映させた作家ターシャが、文学の名句の数々に自らの水彩画を添えた絵本」だとあった。
その絵本を手にしたことはないけど、ターシャという人物は以前テレビでその生活シーンを紹介していたから知っていた。悠々自適の素敵な老後を送っておられる方、という印象だった。
昔からの「文学の名句の数々に自らの水彩画を添えた絵本」というだけで、なんか楽しそうだな。きっと、毎朝起きるのが楽しくて仕方がないんじゃないかな。
過去の文学から自分の好きな名句を拾い、それを絵にする作業って楽しいだろうな。なんか、憧れちゃうね。
【きょうの一枚】新規の充電交流式シェーバー。
このシェーバー、数えて何台目になるだろう。シェーバーは、これまで数え切れないくらい買い換えている。
4万5万するような高価なものは買えないけど、これ、駅近くのホームセンターで1,980円だったから買えた。
いいんだよ、こんなんで。どうせいつかまたぶっ壊れるんだから。20回買い換えるころにはもうこの世にいないって。
【書】「年登」ねんとう(No.964)
「穀物がよく実る。豊作。登も、実る意。」(『旺文社漢字典』第2版)
「年」は、秊が本字で、禾(いね)と、音を表す人(にん。「ねん」は変化した音。ふくらむ意→妊)とで、稲の実がふくらむ、「みのり」の意を表す。ひいて稲がみのる周期、「とし」の意に用いる。
「登」は、両足を表す癶と、音を表す〓(とう。荳の艹を下へ豆を上へ置き換えた形)とで、物の上に「のぼる」意。〓は、供物を供える豆(たかつき)を両手(艹)で差し上げる意を表す。
【ディジタル画】三つ葉を咥えた私(No.406)
「じぃじ、iPad貸して」。早起きの孫娘が朝早く起きてきて私に擦り寄る。私は愛用のiPadで、三つ葉を口に咥えている自画像を描いているところだった。
孫娘の魂胆は判っている。私の使っているiPadで「プロセカ」のゲームをやりたいのだ。自分の持っているケータイでもやれなくはないが、どうも大きい画面でやりたいらしい。私の持っているiPadの画面は12.9インチあって、ゲームをするのにちょうどいい大きさということなのだろう。実際私も、ディジタル画を描くなら断然12.9インチ派で、ケータイだとちまちましすぎて描く気が起きない。
「これ、じぃじ? 自分で自分を描いてるの? おかしい」
おかしくない。自分で自分を描くのを自画像という。自画像のどこがおかしい。
自画像そのものがおかしいのではなく、おそらく朝早くからこんな絵を描いていることが、孫娘の目にはおかしいと映るのだろう。いいじゃねえか、好きな時に好きな画を描いて何が悪い。私はこれからもずっとこのスタイルでいくよ。
今回はすべて「Gガッシュ」で描いた。
【タイムラプス】2月4日(金)7:29〜9:13の伊豆長岡の空。25秒。
https://www.facebook.com/1298610339/posts/10227828990172375/
【新型コロナ】2/4(金)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→104.472(前週同曜日比 +25,492)
重症者数→911(前日比 +25)
累計死亡者数→19,057(前日比 +90)