いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

目を覚ましまだ生きている花李(あ)

【きょうの一枚】庭の李の花。

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 庭に白い李の花が咲くと一気に春がやってきた気がする。
 李の花はポツリポツリ咲くのではなく、目を覚まして庭に目をやるといきなり満開になっている、というふうに咲く。だから一気に春がやってきた気になる。
 たぶん剪定の方法が悪いのだろう、毎年花は咲くが実を結ばない。その実を孫に食べさせたくて植えたのに実がならないのでは仕方がない。
 4年前の夏に実がなって、これで毎年実を拝むことができるかと思ったら違った。それ以降は全く結実しなかった。なぜかは判らない。たぶん枝の剪定方法が間違っているのだと思うが、どう間違っているのか判らないからそのままにしている。だから、いつまで経っても素人の域を抜けない。
 隣で姫リンゴも頑張っているが、こいつも花は咲かせるが実はならない。いつか実のなる日を夢見ているが、こっちは見ないうちに次の世界に呼ばれるかもしれないな。


【書】「足恭」すうきょう(No.1,008)

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 「過度にうやうやしい態度で人にへつらう。足は、度をすごす意。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「足」は、あし先の形を表す止(=口)に、ひざから下の形を加え、止(=趾。足首から先)と区別して、ひざから下の「あし」の意を表す。借りて「たす」意に用いる。
 「恭」は、心と、音を表す共(目上に対してつつしむ意→拱)とで、うやうやしくする、「うやうやしい」意を表す。

 
【ディジタル画】『三四郎』 10(No.448)

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 三四郎は東京に着いた。そして全く驚いた。
 「要するに普通の田舎者が始めて都の真中に立つて驚ろくと同じ程度に、又同じ性質に於て大いに驚ろいて仕舞った」。
 私も上京したての頃はそうだった。あの頃は「おのぼりさん」丸出しで、見るもの聞くもの全てに驚いていた。
 「三四郎の自信は此驚ろきと共に四割方減却した」ことに不愉快を感じるが、私は感じなかった。都会の波に呑まれていくことに微塵の不安も感じなかったどころか、刻々と新しい自分が作られていくことに対する大いなる期待があった。
 今回もすべて「Gガッシュ」で描いている。 


【タイムラプス】3月2日(水)7:09〜9:16の伊豆長岡の空。31秒。

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【新型コロナ】3/2(水)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→65,434(前週同曜日比 −4,088)
重症者数→1,456(前日比 −5)
累計死亡者数→23,908(前日比 +238)