いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

南天の花にぎはつて雨の中(あ)

【きょうの一枚】庭のナンテン(南天)の花の蕾。

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 これから白い花を咲かせます。うちの庭の南天も、花自体はこのようにとても賑やかなのだが、晩秋につける赤い実となるとなんとも貧弱で、こんだけ花が咲くのに、赤い実はたったの3、4粒くらいしか結ばない。
 この庭木と付き合って9年になるけど、実がたわわに実ったところを目にしたことは一度もない。まるで、私が銭に縁がないのと一緒で、賑やかな割には貧相だ。ああ、今年も懐寒い年の瀬になりそうだなクシュン。


【書】「長幼」ちょうよう(No.1,084)

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 「大人と子供。年上と年下。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「長」は、髪の長い人が杖をつく形にかたどり、もと、髪の長い老人、長老の意を表す。ひいて「おさ」の意、転じて「ながい」意に用いる。
 「幼」は、力と幺(よう。ちいさい意)とで、力が弱い意、ひいて「おさない」意を表す。


【ディジタル画】『三四郎』 82(No.524)

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 画工・原口さんは自分の個展をあとにして、個展にきていた野々宮君を誘ってお茶を飲みに外へ出る。美禰子と三四郎も誘われたが断って残る。
 個展には別室があって、そこに深見さんの遺画が展示されてあった。
 深見さんという方がどういう方かは存じ上げない。全集注解には、「浅井忠と言われている」とある。詳しくはWikipediaを覗いていただくとして、ここでは、ともかく当時の水彩画の大家だったらしい、とだけ言っておこう。漱石はだいぶ水彩画に傾倒した時期があった由だが、それがちょうど『三四郎』を執筆していた時期だったのかもしれない。
 「細長い壁に一列に懸つてゐる深見先生の遺画を見ると、成程原口さんの注意した如く殆ど水彩ばかりである。三四郎が著しく感じたのは、其水彩の色が、どれも是も薄くて、数が少なくつて、対照に乏しくつて、日向へでも出さないと引き立たないと思ふ程地味に描いてあるという事である。其代り筆が些とも滞つてゐない。殆んど一気呵成に仕上げた趣がある」
 三四郎の目で語っているが、これが当時の漱石の水彩画評、あるいは浅井忠評とみていいだろう。
 せっかくだから、これを機に浅井忠の作品をネットで見てみた。そうしたら、すごいすごい。浅井忠さんってすごい水彩画を描く方だったんですね。
 三四郎は、「日向へでも出さないと引き立たないと思ふ程地味に描いてある」と言ったけど、そんなことはない。真似しようったってとても真似なんかできっこない。そんなクオリティの高い画ばかりです。これを見せられると、私なんぞはまだまだその足元にも及ばないことがよく判ります。とてもいい刺激になりました。
 今回もConcepts「水彩絵具H2」で描いている。

 Conceptsでの「ぼかし」の表現方法が判らない。手に馴染むまで、もうしばらく時間がかかりそうです。


【タイムラプス】6月6日(月)6:27〜8:56の韮山方面の雨空。37秒。

https://www.facebook.com/1298610339/posts/pfbid02LE6uG3AfgGCv2WvTpyzEGWeaM5iwMsDhSmkHc1wmiSqpdp9Bw1TPVmp9nbuBp5b5l/?d=n


【新型コロナ】6/6(月)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→15,109(前週同曜日比 −5,714)
重症者数→77(前日比 −7)
累計死亡者数→30,752(前日比 +16)