いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

山茶花の蕾の赤く恥ぢ初むる(あ)

 昨夜(10/7)遅く、伊豆は震度4の地震に見舞われた。震源は千葉県北西部という。
 この地震の影響で、首都圏の交通は大幅に乱れた。帰宅難民がタクシー乗り場に長蛇の列を作る様子や、スーパーの棚から物が落ちて散乱している様子などもテレビで放映されていた。
 10年半前に起きた東日本大震災のときとちっとも変わらない。いつ来てもおかしくないといわれる首都圏直下型地震だが、それが次に起こったとしても、人間はきっと今回と同じように右往左往するだろう。ほとほと人間という奴は、いつの時代も自分さえ無事ならそれでいいと考える動物であるらしい。
 かくいう私も人のことは言えない。たぶんグラっと来たらうろたえるに決まっている。今回も少なからずうろたえた。

 「じぃじ、地震、地震」と孫娘が私の寝枕をゆすっても、「大丈夫、そのうちおさまる」と根拠のないことを抜かすだけで、具体的に何しろこうしろと避難指示はしなかった。いや、できなかった。
 揺れを待つこと。人間ができるのはたかがその程度のことである。家が押し潰されれば自分の身も押し潰される。その覚悟をするだけである。そこで天命が尽きるのか、生きさらばえるのか。それは天の配剤に任せるのである。


【きょうの一枚】サザンカ(山茶花)の蕾。

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 金木犀の芳香を楽しんでいたら、庭の奥の山茶花がもう咲く準備をしているのに気づいた。サッカー日本代表がサウジアラビア戦を落としたとしても、その落胆とは関係なく、季節は確実に冬に近づいている。


【書】「五義」ごぎ(No.845)

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 「五つの道。父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「五」は、木を斜めに交叉(こうさ)させて作った器物の二重の蓋(ふた)の形。これを数字の五に用いるのは、その音だけを借りる仮借(かしゃ)の用法である。
 「義」は、羊と我とを組み合わせた形。我は鋸(のこぎり)の形。羊を鋸で截(き)り、犠牲(いけにえ)とすることをいう。儀式のときに供えるいけにえには、羊を使うことが多く、鋸で二つに切り離して供えた。それは羊の内臓も含めて、すべて犠牲として完全であることを示すため。


【ディジタル画】『吾輩は猫である』4(No.287)

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 前回の「笹原」描写の反省から、池のほとりにそれとなく笹が生えている風景をぼかしたっぷりに描いてみました。
 描いているうちに、自分の描きたい画がどんなものか、だんだん判ってきた。

 人からどう見られようと、自分がいいと思ったらそれでいい。そういう画を描きたい。これがひとまず逢着した結論です。 


【タイムラプス】10月8日(金)7:03〜9:10の伊豆長岡の空。31秒。

https://www.facebook.com/1298610339/posts/10227113988297775/?d=n


【新型コロナ】10/8(金)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→966(前週同曜日比 −608)
重症者数→595(前日比 −17)
累計死亡者数→17,860(前日比 +39)