いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

晩秋の日をとことことローカル線(あ)

【きょうの一枚】守山山頂からみた韮山の晩秋の景色。

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 守山とは、狩野川の東側にこんもりと立つ山で、標高100mほどの、登るのに手頃な山。かつては山城の役目があったというが、詳しくはよく判らない。伊勢宗瑞(北条早雲)が伊豆平定の居城とした韮山城は、さらにここから1.7kmほど東に行ったところにある。
 この山の麓には願成就院という寺院があり、そこで国宝の運慶作諸仏を拝観できる。私は幸運なことに、国宝に格上げされる前の仏像を目の当たりにしたことがある。そのときは、仏像を直接手で触ることができた。が、国宝に指定されてからは柵が設けられて、好き勝手に触ることができなくなった。そりゃそうだろう、手に触れることのできる国宝なんて聞いたことない。
 写真左端の家並の一画に(手前の茂みで見えない)、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公・北條義時の眠る北條寺がある。ここの蝋梅が見事。


【書】「冊立」さつりつ(No.897)

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 「勅命によって皇后・皇太子などを定めること。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「冊」は、木を打ち込んだ柵の形。冊は柵(さく)のもとの字である。古い字形では木に長短があり、それを横に連ねて編み、扉の形となっている。両扉の形にしるす形もある。のちこの扉の形を書冊(書物)に意味に用いるのは、竹簡・木簡(文字を書いた薄く細い竹や木の札)を編んだ形がこれに似ているからである。
 「立」は、大と一とを組み合わせた形。大は両手足を広げて立つ人を正面から見た形。一はその立つところの位置を示す。立は一定の位置に立つ人の形で、「たつ」の意味となる。


【ディジタル画】『吾輩は猫である』 38(No.339)

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 最近は、ここの場面は画になりそう、いやなりそうもないという目で文章を読む癖がついた。
 この『吾輩は猫である』も例外ではない。
 正月の苦沙味先生宅へ迷亭先生、続いて寒月君が訪ね、賑やかな正月になった。が、吾輩には三人の話題がつまらない。そこで二絃琴のお師匠さんとこの三毛子の様子を見にふらっと出かけたが、吾輩は、お師匠さんと下女の会話から、三毛子が亡くなったことを知る。
 「吾輩」同様、三人の話題は画に仕上がりそうもなかったが、三毛子の死という出来事ならいくらか画になりそうな気がした。ただ、目を閉じたデスマスクを画とするのは辛いので、ありし日の三毛子の後ろ姿を描くことでご勘弁願った。
 今回は、輪郭を「漫画ブラシS(シンプルGペン)」で描き、彩色を「Gガッシュブラシ」で施し、字は「いつもの手書きペン(カヌレ)」で書いた。 


【タイムラプス】11月29日(月)8:03〜9:35の伊豆長岡の空。22秒。

https://www.facebook.com/1298610339/posts/10227444476719779/?d=n


【新型コロナ】11/29(月)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→73(前週同曜日比 −70)
重症者数→43(前日比 −7)
累計死亡者数→18,357(前日比 ±0)