【きょうの一枚】初挑戦のカツ丼。
孫娘が授業を終えた足で小田原のバスケクラブの練習に出るというので、ママがその送り迎えをすることになった。二人の帰りが遅くなるというので、冷めても食えそうなものを晩御飯に作ることにした。
そこで思いついたのが「カツ丼」。カツを揚げるところからやると下準備が大変だから、ここは手っ取り早く冷凍食品に頼ることにした。ニチレイ「極上ヒレかつ」1袋180g(228円)を4袋。あとは玉ねぎを炒め、つゆの素を適量注ぎ、料理酒と砂糖をちょぼっと加え、だしの素を適量まぶし、最後に溶き卵をとろりと被せて蓋をする。盛り付けるときに葉物野菜をぱらりと散らせば出来上がり。たったそれだけ。
意外に簡単にできます。皆さんも、どうぞお試しあれ。
【書】「声問」せいぶん・せいもん(No.814)
「たより。音信。」(『旺文社漢字典』第2版)
「声」のもとの字は聲。磬(けい=石の楽器)を打ち鳴らすときに耳に聞こえる音を聲といい、「おと、ひびき」の意味となる。声はのちに人の「こえ」の意味に用い、また「うわさ」の意味にも用いる。
門と口とを組み合わせた形。門は神を祭る戸棚の両開きの扇の形。その扉の前に口(さい=神への祈りの文である祝詞を入れる器の形)を置いて祈り、神意を問い、神の啓示(お告げ)を求めることを問という。
「声問」、ちょっと使ってみたい言葉ですね。
両開きの扉が「門」で、片方だけ開くのは「戸」の字で表す。
【ディジタル画】『ざるいしちょっと昔の旅』22(No.256)
昭和38年新春の教室の風景。壁に張り出された習字の作品に「新春」の字が見える。
小学校の校舎は前年の昭和37年春に焼失した。火が出たのは日曜で、学校が休みだったから児童に一人の犠牲者も出なかったのは何よりだった。その後、新しい校舎ができるまで、児童は焼け残った体操場や寺、青年団道場に分散して勉学に励んだ。
新しい校舎に移った5月からはコッペパンと脱脂粉乳の給食が始まった。お世辞にも旨いとはいえなかったが、残す人は誰もいなかった。どこの家庭も食っていくのにやっとこさの生活だったから、まずくとも食えるだけありがたいという思いが誰にもあったのだろう。
給食の人気メニューはカレーだったが、カレーの肉は今と違って鯨肉だった。当時、実家では豚を一頭飼っていて、家族の残飯を豚小屋まで運んだのを覚えている。だから、豚は人間の食い残した生ゴミを食って太る動物だと思っているところがあって、それが精肉店で売られる豚肉とどうしても結びつかなかった。ましてや牛肉なんて、見たこともなかった。ステーキという料理がこの世にあることを知ったのは大学進学で上京してからである。
【タイムラプス】9月7日(火)5:52〜8:48の伊豆長岡の空。22秒。
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【新型コロナ】9/7(火)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→8.241(前週同曜日比 −5,390)
重症者数→2,198(前日比 −9)
累計死亡者数→16,399(前日比 +40)