【きょうの一枚】十二単衣の黒髪。
書と墨画のグラフ誌「墨」の表紙にこの図絵があったので模写した。
お召し物の模様が半端ない。これを写し取るだけでも半日かかる。実際に筆で布に模様を手書きしていくとなると、もっと時間がかかるんだろうな。
合鍵のように、店に行ったらその場でさっとでき上がる、というわけにはいきません。
【書】「觀(観)」カン・みる(No.1,756)
見(みる)と、音を表す雚(カン。めぐる意→還)とで、ぐるりと見回す意を表す。常用漢字は省略形の俗字による。(『旺文社漢字典第2版』ディジタル版)
【ディジタル画】『倫敦塔』その32(No.1,196)
「イタコ」を思い出した。
青森・下北半島のマサカリの付け根に「恐山(おそれざん)」という山がある。
その呼び名からして、おどろおどろしい場所として恐怖とともに私の記憶にある。
Wikipediaの説明には、「恐山は、江戸時代より地域住民の信仰の対象であったと考えられるが、近代に入ってもそうした信仰は継続していた」とあって、作家の幸田露伴著『易心後語』にその土地の様子を伝えているという。が、私はまだその本を読んでいない。
で、イタコとは何か。
イタコとは、この世とあの世を結ぶメッセンジャーで、一般に恐山の例大祭に「口寄せ」をする女性のことをいう。
「口寄せ」とは、先祖や死者と現生きている人とを仲介することで、幼くして失明した女の人が主にその役を担った。
最後の口寄せとしてマスコミに騒がれた松田広子さんは八戸市出身で、高校1年夏からイタコの修行に入ったという。そのとき、不幸にして失明していたかどうかは知らない。
漱石がロンドンに留学せずに青森の恐山に行っていたら、おそらく見る景色も違っていたことだろう。太宰治がタケから地獄の話を聞かされたとき、同じくイタコの話も聞かされていたら、その後の太宰の作品にどういう影響が生じていていただろう。
最近、そんな、どうしようもないことばかり考えている。
【昭和の風景】墨画(No.476)
絵手紙。「もしもし、だれですか?」。
街中の公衆電話。公衆電話から電話をかけようにも、かける先に電話がなければ通話ができない。きっと電話をかけている先に話を聞いてくれる誰かがいるのだろう。
当たり前といえば当たり前だが、この電話というやつが私は苦手だった。
リリンと鳴るだけでドギドキした。何を話していいか判らないのである。話すことがないからといって黙るわけにもいかない。黙っていても通話料がかかる。だから就職する時、電話に出る必要のない職場を探した。
遠くに住んでいる人と話ができるのは確かに便利だと思うが、こっちの都合に合わせてくれないのが珠に傷。こっちがトイレ中であろうが入浴中であろうが関係なく鳴る。それはスマホになった今も基本的に変わらない。
いかん、東海林さだおさん風の言い訳のようになってきた。このへんで止める。
【タイムラプス】令和6年4月29日(月)6:52〜10:02の伊豆長岡の空。23秒。
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