【きょうの一枚】病院近くの「道の駅」。
定期検診の病院近くに「道の駅」がある。
病院を出たらやたら喉が渇いた。で、次の予定まで時間があるのをいいことに、時間潰しを兼ねて久々に「道の駅」に立ち寄ることにした。
5時閉店の「道の駅」は午後診だと間に合わないことがあって、そこでのショッピングができなかったりすることが多かった。
病院が混むのは大抵水曜と金曜。で、この日は火曜で比較的空いていた。空いていたのは大型連休の谷間ということで診察を控えた事情があったのかもしれない。
それで「道の駅」外の自動販売機で、主治医が目の敵にする炭酸のボタンを押した。主治医の忠言よりも喉の渇きを優先させた。
そんな炭酸を摂取して大丈夫なのか? いや、大丈夫じゃない。それは判っている。が、「判っちゃいるけどやめらなれない」。そんなやつは早くくたばった方がいい。長らえてもこの世のためにならん。
好きなものを飲んで早く失せるか、好きなものを我慢して長生きするか。私だったら前者を選ぶ。
さて、ぐるり店内を巡って一つの異変に気づいた。袋詰めの塩がない、のである。道の駅で買うなら西伊豆の塩だと決めて、それがあったら迷わず買うつもりでいたが、ない、ない、ない。スーパーには売ってない。
かつて棚にずらり並んであったのに、それが跡形もなく消えて別の品が陳列されている。そんな馬鹿な。昔はあんなにあったのに。
来ないうちに「道の駅」の品揃えもずいぶん様変わりした。なけりゃ買わないだけだから別になくても困らないけど、昔あったところに別のものがあったりするとちょっぴり寂しく感じる。まあ、個人的なノスタルジーということなんですけどね。
【書】壬生忠見(No.1,758)
「恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか」(意:恋をしているという私の噂がもう立ってしまった。人に知られないようにあの人を思い始めたばかりなのに。)
「あの人、恋してるんじゃない? 誰か好きな人いるんだよ。最近やけにきれいだもの」。あれま、噂が立ってしまったんだわ。あらやだ、誰にもさとられないようにしていたのに。やっぱり、勘がいい人は気づくのね。
これと同じような心持ちを詠んだ歌に「しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで」という平兼盛の歌がある。優劣を問われた時の帝・村上天皇は、壬生忠見よりも平兼盛の方に軍配を挙げた。そのため、負けた壬生忠見はショックのあまり食欲がなくなりそのまま息絶えたと伝えられる。
ちょっと眉唾物だが、壬生忠見も自分の歌によほど自信があったのだろう。
たかが歌というなかれ。当時のエリート貴人たちは、それだけ歌一首に命を賭していたのだ。
【ディジタル画】『倫敦塔』その34(No.1,198)
「女」「呪い」で検索したらある画像と出会った。何かピンとくるものがあって、それを下絵に墨絵風に仕上げた。
描きながら思った。女は魔物だ。底知れぬ美しさがあり、底知れぬ怖さがある。
これが『倫敦塔』の不気味さに繋がるといいんだが……。どうも繋がらないみたい。
絵が描けるんなら、繋がろうが繋がるまいがどっちだっていいさ。
【昭和の風景】墨画(No.477)
絵手紙。「ちょっくら 珈琲ブレイク」。
ここに絵手紙をアップしようとして「珈琲」の字を書き間違えたことに気づいた。で、お絵描きアプリConcepts6.0を起動させて文字だけのレイヤーを引っ張り出し、誤りの字を消して正しく書き直した。
それが簡単にできるのがディジタルのいいところ。その代わり逆に「間違ったら後で直せばいいや」と安易な気持ちになってしまっていけない。それだと一期一会の研ぎ澄まされた緊張感が薄れる。
【タイムラプス】令和6年5月1日(水)6:59〜9:23の伊豆長岡の空。35秒。
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もう5月かあ。暦は知らないうちに5月に突入したんだね。
のんびりコーヒーでも飲んで雲の流れを目で追う、なんて余裕もない。この余裕のなさはなんだろう。日々何かに追われている感じで、死に急いでいるような気がしないでもない。もっとゆるゆる穏やかに暮らしたいんだけどなあ。