【きょうの一枚】第6回あるこう会。
病院に行ったらこんなポスターが目に留まった。
「5年ぶり」だそうです。そんなにやってなかったんだ。
最近、平らなところでも平気で躓くようになったからなあ。久々に三島のせせらぎを歩いてみるか。
【書】「鬱」ウツ・しげる(No.1,757)
林と、こもる意の字が加わって、木が盛んに茂り、その気が充満する意を表す。ひいて、ふさがる意に用いる。(『旺文社漢字典第2版』ディジタル版)
古代文字の勉学に重宝したこのコーナーも、いよいよラストになりました。
「鬱」の字は、小学校図書館にあった「学習漢字辞典」に載っていた漢字の中でもっとも画数の多い漢字だった。だから必死に覚えた。書き取りテストに出るわけでもないのにね。変に力んじゃってました。きっと時間の使い方が下手だったんだね。
とまれ、いずれこのコーナーも終焉を迎えることは判っていたけど、その日がいざ来てみると一抹の寂しさを覚えたりもします。漢字の学習が「鬱」で始まり、「鬱」で終わるのも因縁めいてますね。
甲骨文字にしろ金文にしろ、古代文字ではこれまでいろいろ勉強させてもらいました。ありがとうございました。
これからは、ここに「百人一首」の臨書をアップします。もちろんディジタルです。
ディジタル技術で先人たちの鍛え上げてきた墨の世界にどこまで迫れるか。やれるだけやってみます。
かつてアナログで培った技をディジタルでどこまで再現できるか。チャレンジしてみようと思います。
【ディジタル画】『倫敦塔』その33(No.1,197)
再び「イタコ」。
「イタコ」は、どうしてあの世の世界の人と話ができるのか。それを幼い頃からずっと不思議に思っていた。しかもイタコになれるのは視力を失った女の人ばかり。なぜだろう。それが不思議だった。そして、その不思議は今も心の中に残っている。
でもいいんだ。不思議は不思議なままにしとこう。世の中には不思議がいっぱいあるけど、それを科学の力で解明しようとするから無理が祟る。科学は万能じゃない。なぜイタコがこの世に存在するのかも科学では説明できない。よしんばできたとしても、「だからどうした」で終わる。悩むだけ馬鹿馬鹿しい。だから、不思議は不思議のままにしておくことにした。
【昭和の風景】墨画(No.477)
絵手紙。「たんぽぽさん、来年またね」。
うちの郵便受けの下に咲く。
もっと見栄えのいい写真を撮ろうと思って夕方カメラを向けたら、夕方にはもう窄んでいた。
たんぽぽってたくましいと思ったら、意外に華奢なところもあるんだね。
まあいいか。来年また咲いとくれ。
それまで生きてるからさ。
【タイムラプス】令和6年4月30日(火)6:56〜8:35の韮山方面の雨空。24秒。
https://www.facebook.com/share/v/QbF9WsgH1FHbd4cb/?mibextid=WC7FNe
アップに思いのほか時間がかかってたけど、しっかりコピペできてるかなあ。心配だなあ。