いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

初時雨花壇の花の色燃ゆる(あ)

 漫画家・矢口高雄さんが亡くなった。享年81。

 「釣りキチ三平」の生みの親だ。私は、どちらかといえばあまり熱心な読者ではなかったが、日帰り温泉を楽しむ一二三荘の玄関に飾ってある色紙を見てから、俄然親近感を抱き始めた。今から5年以上前の話。その頃に買って読んだのが『ボクの学校は山と川』(講談社文庫)。そこには、漫画家・矢口高雄さんの原点があった。

 矢口高雄さんは、秋田県横手市増田町の中心部から20キロほど離れた狙半内(さるはんない)という集落で少年時代を過ごした。近くを雄物川の支流が流れ、そこではイワナやヤマメが捕れたという。本にはイワナやヤマメに限らず、身近で観察しただろう動植物のイラストが散りばめられ、その精細なタッチに驚く。少年の頃は、飽きもせず描いていたんだろうなあ。

 矢口少年は、「漫画の神様」手塚治虫さんに憧れたという。「手塚が連載する漫画雑誌を買うために杉皮背負いのアルバイトで小遣いを稼ぐほどであった」<https://ja.wikipedia.org/wiki/矢口高雄>らしい。そのエピソードだけでも漫画の神様を心酔する熱意が伝わってくる。「また漫画を読む一方で自ら描く事にも興味を持ち、手持ちの漫画の模写をするようになり……」<同>とあるから、その頃から飽かず漫画を描き続けていたのだろう。

 私も洟垂れ小僧の頃は漫画家に憧れたりしたが、そこまではのめり込まなかった。もしあの時、私も矢口少年のように漫画を描くことに明け暮れていたら、今頃は違った人生を歩んでいただろうか。

 実際は、凡凡とした教員生活を送り、退職後は伊豆に住まいを移し、地元の学校のお手伝いをしている。ここ数年は多少自由な時間ができたこともあって、その時間に絵を描いたりしているが、それもだんだん古代文字を書く時間になってきて、最近は絵から遠ざかっている。

 だからといって絵を諦めたわけではない。なんとかして絵を描く時間を作りたいと思っている。絵というよりも、漫画ですね。昔、漫画家になりたかった夢を、生きているうちに叶えられないかと、先週からずっとそのことを考えている。どうすれば漫画を描く時間を作れるだろう。

 そして今日、このまま仕事をやりながらでは時間が作れないという結論に逢着した。そのことを校長先生に文書で伝えた。これで腹は決まった。ただ、金銭面では年金以外の収入がゼロになるので、そこをどうクリアするかが課題。でも、持ち前の楽観視で、そんなものはなんとかなるだろう、なんともならなくてもなんとかなるだろうと、4月からは「新しい生活様式」で、自分のやりたいことを優先することにした。

 

【今日の一枚】マリーゴールド。

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 職場の花壇に咲く。

 今、花壇に咲いている花はこれだけ。これが終わったらパンジーの苗を植える。パンジーは技術室外のポットでその出番を待っている。

 

【書】「弟兄」ていけい(No.523)

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 「①弟と兄。弟昆。②仲間や後輩を親しんで呼ぶ語。」(『旺文社漢字典』第2版)

 「弟」は、韋(なめしがわ)の紐(ひも)でものを束ねる形。[説文]には第の字がなく、弟を第の意味に用いる。第は竹簡(細長く削って作った竹の札に字を書いたもの)を順序よく束ねることをいう。順序の意味を子どもの上に及ぼして「おとうと」の意味に用いる。→白川静『常用字解』

 「兄」は、口と人(儿=じん)とを組み合わせた形。口は神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器の形。兄はこの口を頭上に載せている人を横から見た形で、神を祭る人をいう。兄弟のうちで家の祭りごとを担当したのが長男であったので、兄は「あに」の意味となる。

 

【タイムラプス】11月26日(木)5:30〜7:16の伊豆長岡の空。26秒。

https://twitter.com/aisakajiro/status/1332088255517319168?s=21