いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

燃え上がる無病無病とどんど焼(あ)

 私は何をしようとしているのだろうか。

 時々判らなくなることがある。

 絵を描くのは楽しい。

 楽しくて楽しくて、夢にまで出てくる。

 でも、本当に絵を描くのを心底楽しんでいるだろうか。

 そんな疑問がふと湧いたりする。

 それは、自分の描きたい絵がまだ確立できていないからではないだろうか。

 いや、描きたい絵はある。だけど、そこまで技量が追いついていない。どうもそんな気がして仕方がない。

 今は勉強中だからと言い訳してみても、いつかXデーがやってくることを思えばそう呑気に構えてもいられない。

 なんとかしなくてはと焦る。

 でも、なんともできないんだなあ、これが。

 本当に俺は、何をしようとしているんだろうか。

 そんな、試行錯誤の毎日です。

 

【きょうの一枚】どんど焼のおんべ。

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 先端に達磨がぶら下がってる。やっぱ、達磨があるとないのとでは見栄えが違うね。

 おんべに使う竹は、すっくと真っ直ぐに伸びていて、先端が青々とした葉に覆われていないといけないのだそうだ。そこらへんの竹を適当に伐ってるわけじゃないんだ。おみそれしました。先祖代々からの伝統はこうして後世に引き継がれていくんですね。見てるか、子どもたち。

 

【書】「穆」ボク・やわらぐ(No.1,650)

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 禾(いね)と〓(ボク。穆から禾のパーツを取り除いた形。穀粒の多い意)とで、豊かな実りの意を表す。転じて、あつい、借りて「やわらぐ」意に用いる。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版) 

 

【ディジタル画】『坊つちやん』その9(No.1,090)

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 昨日は「山嵐」、今日は「坊つちやん」。

 いよいよ真打登場。

 下女の清は坊つちやんが松山へ赴任する直前になってもまだ「坊つちやん」と呼んだ。そのことを坊つちやん本人は「愈馬鹿気て居る」と言うが言われて満更でもない。

 坊つちやんとしてはいつまでも坊つちやん呼ばわりはやめてくれと言いたいところだが、清にとっては、いくつになっても坊つちやんは坊つちやんのままなんだな。

 今回は、敬愛する漫画家・谷口ジロウ氏の絵を模写。タッチは荒っぽいけど、そこに裏打ちされた独自の緻密さが伝わってきます。うまいなあ、私もこんなふうに描けたらなあ。

 

【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.370)

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 江戸の変体仮名第33弾。「む」の部。

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 『道中膝栗毛発端』の挿絵に色を付けてみた。

 絵は一九の自画。文章もうまいけど画もうまい。

 

【タイムラプス】令和6年1月13日(土)6:48〜7:22の伊豆長岡の空。29秒。

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