いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

東京のここは上野か春疾風(あ)

【きょうの一枚】あゝ上野駅。

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 晩酌をしながらたまたまテレビの歌番組を見ていたら、工藤夕貴と五木ひろしが「あゝ上野駅」を歌っていた。

 「あゝ上野駅」は井沢八郎の持ち歌。娘の工藤夕貴が女優としてアメリカに渡り、ハリウッドから帰った後は静岡県富士宮市に土地を求めて、そこで自然農法を実践しながらカフェを営んだ。

 工藤夕貴が井沢八郎の娘だなんて、そんなのはどうでもいい。どうでもよくないのは井沢八郎が歌った「あゝ上野駅」という歌。

 その歌詞に、”上野は おいらの 心の駅だ”とある。

 私に限らず、北国の人にとって上野駅は「心の駅」だった。北陸福井から出てきた五木ひろしにとっても、上野は特別な所だったのかもしれない。

 まさに、”あの日 ここから 始まった”上野駅。啄木が「故郷の訛り懐かし停車場の……」と哀しく歌った停車場も上野駅だった。

 上野からスタートした私は、東京の大学を卒業して神奈川に就職した。

 そして、仕事を終えてから伊豆で暮らすことを決めた。

 それで、カミさんも一緒に伊豆で暮らすのかと思いきや、あたしゃ70まで神奈川で働くよと言い出した。別にいいけど。

 私は伊豆でやりたいことが多々あった。あれもやりたいこれもやりたいということがたくさんあった。カミさんはどうか知らない。もしかしたら神奈川でやり残したことがあるのかもしれない。やり残したことがあるんだったらそれをやればいい。とまれ、一足先に伊豆で暮らすよと言ってこっちへ来た。

 暮らしてみたら、伊豆はすこぶるいいところで、大いに気に入った。こういう自然に恵まれた土地で、小鳥の囀りで目を覚まし、旨し湧き水を飲んで温泉に浸かる。なんて贅沢なんだろう。

 こんな贅沢を満喫できるのも、元はといえば、あの日あの時上野のホームに降り立ったからだ。全てはそこから始まった。

 そんなこんなを思いながら、晩酌をちびちび呑っては人生の不思議に思いを馳せた。

 今は新幹線のせいですっかり様変わりしてしまった上野駅だけど、あの時降り立った場所は私にとって今も特別な場所として心に刻まれている。

 

【書】「翼」ヨク・つばさ(No.1,709)

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 羽と、音を表す異(イ。ヨクは変化した音。つばさの意→翊)とで、「つばさ」の意を表す。転じて「たすける」意に用いる。常用漢字は省略形による。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版) 

 

【ディジタル画】『坊つちやん』その68(No.1,149)

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 「江戸っ子」にこだわっている。

 「坊つちやん」は江戸っ子で、「山嵐」は会津っぽ。

 いわく、「……っ子」と「……っぽ」の違いってなんだ? 

 

【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.429)

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 明治の錦絵。

 ガス灯に灯りがともる頃合いを描いた。”降る雪や明治は遠くなりにけり”(中村草田男)の思いを込めて。

 

【タイムラプス】令和6年3月12日(火)6:43〜8:07の伊豆長岡の空。20秒。

https://www.facebook.com/share/v/cyVViuykL67tSWfV/?mibextid=WC7FNe

 セット時は雨が降りそうだったが、 一か八かでカメラを富士山の方へ向けてみた。が、やっぱり2時間は持たなかったわ。撮影途中で雨が来た。

 でも撮影が2時間近くだったので、カメラを軒下に避難させず、そのまま撮影を続けた。そうしたら、今日は夜までずっと雨だった。