図書館から借りてきた本の中に、こんな表現があった。
「絵を持った文学」。
「東海道中膝栗毛』の解説に見える。
そこで、しばし考えた。絵を持った文学って、何だろう。
黄表紙本のことを考えている。
黄表紙は、江戸時代に流行った大人向けの娯楽漫画本である。
安永4年(1775)に出版された恋川春町画作の「金々先生栄花夢」が知的な成人読者にも評判を得て、以後これらの戯作を黄表紙と称するようになった。
これだ。この江戸時代に流行った大人向けの漫画本だ。
ところが、漫画の吹き出しにあたる文章がことごとく変体仮名で書かれていて、活字を見慣れた現代人には読みづらいことこの上ない。『東海道中膝栗毛』にも変体仮名が多く登場し、校注者はこの類のものを「絵を持った文学」と捉えたのだろう。
で、私もしばらくそれに付き合うことにした。『膝栗毛』を理解するためには変体仮名の読み取りが欠かせないと思った。
が、時代はディジタルの時代。ディジタルの技術を使って変体仮名を書くとどうなるか、はなはだ心もとない。
江戸時代には寺子屋という教育施設があった。そこで「読み書き算盤」が盛んに行われた。その「読み書き」をディジタルで再現しようという試みだが、果たしてうまくいくかどうか。まあ、明らかに時代の逆を行ってるよな。
【きょうの一枚】丸太を割り切れない手斧。
とうとう、パソコン横の丸太に手をつけた。外に積み上げてある薪の量が心細くなってきたからそうした。
このシーズン、なんとか持つかなと思ったが、やっぱり持たなかった。まだシーズン終わってないけど。
手斧を持って薪を作り足そうと思ったが、二股に別れた箇所はしぶとく薪になってくれない。
股にヒビが走ってパカンと割れると思いきや、そうはならなかった。手斧は丸太に食い込んで抜こうとしても抜けない。ハンマーを振り下ろす腕もいうことを聞かなくなってきたので、新しい割れ目ができるまで天日干しすることにした。
【書】「諌」カン・いさめる(No.1,617)
言と、音を表すかん(カン。ふせぐ意→干)とで、長上の人の悪を忠告してふせぎ止める意を表す。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)
【ディジタル画】『道草』七十八(No.1,057)
健三の細君には歇私的里(ヒステリー)の持病がある。
ある時、健三は細君から不思議な言葉を聞かされた。
「御天道さまが来ました。五色の雲へ乗つて来ました。大変よ。貴夫(あなた)」
「妾(わたし)の赤ん坊は死んぢまつた。妾の死んだ赤ん坊が来たから行かなくつちやならない。そら其所(そこ)にゐるぢやありませんか。桔槹(はねつるべ)の中に。妾一寸行つてみて来るから放して下さい」。
細君は桔槹の中に身を投じようとしていたのかもしれない。いや、かなり不気味です。
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.337)
恋川春町が描いたとされる画、の模写。
山東京伝、式亭三馬と来たら、次は恋川春町。
恋川春町は、江戸時代中期の戯作者、浮世絵師。安永4年『金々先生栄花夢』で黄表紙といわれるジャンルを開拓し、黄表紙の祖と評される。静岡市出身。本名は倉橋格(くらはし いたる)。筆名は、江戸藩邸のあった小石川春日町に由来するという。
【タイムラプス】令和5年12月11日(月)7:50〜10:20の伊豆長岡の空。37秒。
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