【きょうの一枚】茹で筍。
きのう(4/25)カミさんが神奈川の横須賀から車を飛ばしてやって来た。
突然のことでびっくりするが、最近はそのびっくりが当たり前すぎて「突然」でもなくなった。
訊くと「そろそろ水を汲みに行かなきゃと思って」とかなんとか言う。病院から届く知らせみたい。最近の病院は薬がなくなる頃合いに電話をくれる。「そろそろ薬が切れる頃かなと思ってお電話しました」。
開業医もあの手この手で患者が離れていかないようにしているらしい。
で、カミさんに訊いたら、急に伊豆行きを決めたのは果たして水汲みが主な理由だとか。同居するグルメ長男が、伊豆の生水大ファンで、そいつに急かされて水汲みに来たといったあたりだろう。
急遽午前中の予定を変えて先に筍掘りをすることにした。寝坊して水汲みの準備が間に合わなかったらしい。準備も何も水タンクとペットボトルを用意するだけなのに。
筍掘りに行ったら、先に竹藪の主が来ていた。
初めてお会いするということもあって、まずは簡単な自己紹介。竹藪の主からいろんなレクチャーを受けつつ、筍を十本ほど間引いて帰ってきた。
帰ってきて水道水を寸胴鍋にたっぷり入れて煮込む。
重鎮が言うまでもなく、筍は掘るより煮るのが手間だ。
筍は今回も米糠を使わずにそのまま茹でた。
【書】「鷹」ヨウ・たか(No.1,753)
鳥と、音を表す〓(ヨウ。爿と雁を組み合わせた形)とから成る。(『旺文社漢字典第2版』ディジタル版)
鷹を「ヨウ」と音読みするのは、私は、名君として名高い米澤藩主・上杉鷹山の呼び名で知っていた。
【ディジタル画】『倫敦塔』その29(No.1,193)
呪われた女の顔で思い出すのは、決まってこの人形の白い顔。
人形は、幼くして命絶たれた童女の顔を映し出す。
私には八歳ほど年下の妹がいた。その妹が小学校に上がる前に交通事故で他界した。即死だった。野良仕事に出ていた母は知らせを受けて半狂乱になって病院に走った。私は病院に入れてもらえず、外の窓の下で母の嗚咽を聞いた。
位牌は地元寺院本堂に安置され、妹の身がわり人形がガラスケースに収められた。その人形の乱れ髪が顔に掛かっていたのは記憶にない。きれいに整えられていたかもしれない。だけど、線香を手向ける時の人形の顔がやけに白かったのだけは覚えている。なんだか怖くて触れられなかった。
【昭和の風景】墨画(No.473)
絵手紙。「泣く子は育つ」。
誰に出す宛もない絵手紙を描いている。
絵手紙は、描きたいという気持ちさえあれば、宛がなくても描けるものなんですね。
ブログと一緒だ。誰に頼まれて書くのでもなく、書きたいときに書きたいように書く。それでいいんだと思う。
【タイムラプス】令和6年4月26日(金)6:47〜9:23の伊豆長岡の空。39秒。
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