いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

歴史に名残す残さぬ年の暮(あ)

【きょうの一枚】蛭ヶ小島(頼朝・政子像がある)から見た富士山。

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 これを撮った現場から程なく行ったところに「韮山時代劇場」がある。中には市立図書館があったりFM放送局があったりする。来年二月の市駅伝大会の開閉会式もここで行われる。むろん大劇場を備えているからそんなことができる。

 今日は、その中のFM局に用があって出かけた。

 用というのは、正月番組で流される「地域の祭り (どんど焼)」の宣伝原稿を届けるというもの。地元のFMが正月特別番組として「地域の祭り」を紹介してくれるというので、それに乗っかることにした。たまたまFM局の社長さんが某地区の区長さんも兼ねているということで全面的に協力することにした。

 局のドアを開けたら先客がいた。その方は額縁の形をした風呂敷をテーブルに置いてスタッフと交渉中だった。スタッフが私の姿を認めてその方との打ち合わせを中断して私に近づいてきた。用件を伝えると、私の提出した書類を受け取って局のスタッフは再び交渉の席に戻った。

 FM局を出る。

 帰りも同じ道を通った。

 初冬の青空の向こうに頭の白い富士山が聳える。この地で出会った頼朝と政子が並んで富士山を見つめている像が立っている。なぜか頼朝は棒の切れ端を持っている。あんな真っ直ぐな木の枝をどこで手に入れたんだろう。農具の柄がそうであるように枇杷の木を削って作ったのだろうか。

 頼朝は京都からこの地へ流されて政子と出会う。やがて頼朝は北条の力を得て旗揚げし、神奈川・鎌倉に幕府を開く。逢瀬を重ねた政子の下に弟があって、その一人が第2代執権・北条義時。昨年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公で、私はこのドラマにエキストラとして二度協力した。

 銅像の後ろ姿に大きな歴史の流れみたいなものがあった。その歴史の舞台で暮らしている今を思うと、なんだか胸が熱くなってくる。

 なぜあの時、頼朝は伊豆へ流罪になったのか。なぜ九郎義経は鞍馬寺で修行を積んで奥州平泉と昵懇になったのか。頼朝と義経に挟まれた残りの兄弟姉妹は一体どうなったのか。

 そんなことを勝手に思いやりながら、頼朝・政子の隣に並んで遠くの富士山をしばし眺めた。

 

【書】「霍」カク・にわか(No.1,614)

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 〓1(雨の下に隹が二個並ぶ)が本字。雨と〓2(隹が二つ並ぶ。隹が三つ並ぶ省略形。多くの鳥の意)とで、雨にあって鳥が急に飛び立つ意。ひいて「にわか」の意を表す。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)

「霍乱」と言えば「日射病」のこと。母は生前、「霍乱気起こへばまいねはんで、ケドコさ出はいしな(外へ出てはダメだ)」とよく言っていたのを思い出す。 

 

【ディジタル画】『道草』七十六(No.1,054)

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 健三の細君の父は、財界で有名な人ととかに知り合いがいるのに、健三に借金の保証人を頼んだ。どうして健三に頼むのかなあ。大枚をポンと出してくれそうな人がいくらでもいたろうに。 

 

【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.334) 

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 駕籠に乗りながら、路銀をしっかり管理している弥次さん。一方、駕籠かきの方は休憩しながら支払いの件で内輪揉め。

 

【タイムラプス】令和5年12月8日(金)5:58〜9:01の伊豆長岡の空。22秒。

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