いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

スーパーの鍋焼饂飩三分間(あ)

【きょうの一枚】よく利用するスーパー。

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 ここのスーパーは、毎月「6」のつく日に酒類を除いて1割引サービスを提供している。今年から移動スーパーも始めた。

 これまで移動スーパーを担当していた方が、次回から半島の南の町に転勤になるのだそうだ。向こうで新規に事業を開始し、今のうちに新しく事業展開していくのだという。スーパーも生き残りに必死ですね。クマが跋扈するような奥地にどんどん追いやられている。

 コンビニも山奥まで展開するようになり、スーパーとしても危機感を覚えたのでしょう。

 カミさんがいうには、都会でも街なかの店を畳んで郊外に販路を広げるスーパーが多くなったという。ちゃんとしたリサーチだかどうかはわからない。たぶん思いつきでものを言っているのでしょう。あるいはテレビでそう言っているのか。

 それにしても駅前からデパートが姿を消して久しい。大きな荷物を抱えて電車に乗り込む姿も見かけなくなった。缶ビールも箱で買うようになり、それを自家用車で運ぶ生活スタイルが定着してきた。

 これからもどんどんそうなっていくでしょう。何をするにも車がないと何もできない社会になってしまった。少子高齢化の波がすぐそこまで押し寄せています、なんとかせねば。

 なんとかせねばと思ってもなんともならない。時代はそう動いている。都会のデパートからお子様ランチが消えたように、華やかだった昔がどんどん消えていく。それは時代の波で仕方のないことだと思う。

 どうにもならないことをなんとかしようと足掻いているのが昔の人で、どうにもならないことはどうにもならないと諦念しているのが今を生きる人の生活の知恵なのかもしれない。

 

【書】「学(學)」ガク・まなぶ(No.1,615)

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 両手を意味する「臼」と冖(家の省略)と〓(コウ。上下にメを二つ並べた形。ガクは変化した音。ならう意→効)とで、儀礼などの手ぶりをならう所。のち、子を加えて子弟がまなぶまなびやの意、ひいて「まなぶ」意を表す。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)

 

【ディジタル画】『道草』七十七(No.1,055)

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 鉱山事業の失敗で無一文になった細君の父に、それでも仕事の斡旋があった。

 「関西にある或私立の鉄道会社の社長であつた」。また、山陰道筋のある地方の知事なら転任させてもよいという政府のお墨付きもいただいた。でも、何が不満なのか細君の父はその話を断っている。

 細君の父は、知事にどうかと話題に上るというくらいだから、相当な権力を持った御仁に違いない。

 でも今は、そんなことはどうでもいい。

 「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」

 これは、森鷗外が没するときに発した言葉とされる。軍医総督にまで上り詰めた鷗外は、それこそただの人として東京三鷹・禅林寺に眠る。ちなみに太宰治の墓も同じ寺にある。

 「コレデオシマイ」

 こっちは勝海舟最期の言葉。

 勝海舟といえば江戸無血開城で西郷隆盛とやり合った人。福沢諭吉を乗せた咸臨丸でアメリカにも渡っている。その他歴史の至る所に顔を出しているが、最期の言葉は「コレデオシマイ」。あまりに潔すぎます。

 日本の将来のためにいろいろ尽力された濃い人だけど、つべこべ言わずただ一言、「コレデオシマイ」。

 与えられた人生を生き尽くした人が漏らす言葉です。それだけに余計心にズシりと響きます。 

 

【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.335) 

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 山東京伝。

 十返舎一九が活躍したのは江戸時代後期。その頃は、滝沢馬琴、山東京伝、式亭三馬といった人たちがきら星のごとく輝きを放っていた。その中に十返舎一九もいた。十返舎一九は副業を持たない初めての物書き一本で生計を成した人だった。 

 

【タイムラプス】令和5年12月9日(土)6:06〜8:33の伊豆長岡の空。36秒。

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