娘が旦那の車で米を取りに来た。
ついでに伸びに伸びた髪の毛もカットしてもらった。
わざわざ米を取りに来るだけために伊豆へ来るのも難儀だと思いながら、でも、そのままにしてある。
そうすれば孫の顔が見られると思ってそうしたのだったが、孫は来なかった。来るわけないよな。昔のように、伊豆に来たって都会にあるような刺激的な遊びなんてないもん。
今回は、もともとはカミさんが伊豆から神奈川・大磯まで米を運ぶ予定だった。が、カミさんの体調がイマイチというので代わりに娘が大磯から取りに行くことになった。
カミさんも、もう70なんだから無理することはない。ゆっくり横になってたほうがいいよ。70になって箱根を越えるのはきついよ。
米は新潟の米農家から取り寄せる。その米農家との付き合いはかれこれ30年にもなるだろうか。伊豆へ引っ越してからもお付き合いは続いている。孫どもはここの米を好んで食う。てか、ここの米しか食わない。
その孫が伊豆を離れて神奈川・大磯で暮らすようになった。それでも米はずっと伊豆へ送ってもらっている。
米を口実に孫どもの成長を見たいというこちらの思惑も働いている。
でも、そろそろ米を大磯に送るようにしたらいいんじゃないか。
孫どもが住んでいるのは向こうなんだし、そちらへ米を届けるようにしたら伊豆へ来る必要がなくなる。娘にも娘の旦那にも、そして何より孫たちにもそのほうがいいんじゃないかな。私はどうせ一人暮らしだし、そんなに大量の米をストックしても食い切れない。「サ○○のごはん」で十分。だったら、孫やその家族に食ってもらったほうが作る方も張り合いがあろう。
そうだ、そうしよう。孫の顔が見られなくなるのは残念だけど、それがいちばんいい。
どれ、新潟の農家さんにかけあってみるか。
【きょうの一枚】玄関脇の立水栓。
玄関脇の水道はなんのためにあるか。
家に入れば流しがあるじゃないかと思うが、どうしてどうして庭木に水をやるには家の外に水道があったほうが重宝する。水汲みのたんびに家に入らなくて済む。
孫どもがまだ小さかった頃は、ここからホースで水を引き、それを庭木の枝に引っ掛けて水浴びをさせたっけ。この家にクーラーなどないからそうしたのだが、孫どもは大いに喜んでその細い滝に涼を求めたのだった。ホースの水を脳天にジョボジョボ落とすだけで喜んでくれた。
この立水栓の真上に薪ストーブの煙突がある。この前煤払いをしたら大量の煤が煙突から出てきた。部屋が燻っていたのは、これらの煤が煙突にこびりついていたせいだった。薪ストーブは何が大変って、この煙突掃除が大変。
【書】「寮」リョウ・つかさ(No.1,599)
宀(家)と、音を表す寮(リョウ。つらなる意→繚)とで、続きの建物、一連の役所の意を表す。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)
【ディジタル画】『道草』六十一(No.1,039)
健三の細君の御産は間近い。そんな折でも島田 (健三の養父)は金の無心に訪れる。
「彼女の持つた心の鏡に映る神経質な夫の影は、いつも度胸のない偏屈な男であつた」。
身重の細君からすると、我が夫がなんとも頼りなく映って仕方がない。
島田も島田だ。働いて金を稼ぐ気はないのかね、健三に金の無心ばかりして。
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.319)
のけぞっているのは弥次さんだろうか、喜多さんだろうか。
それにしても、女の左手が何を握っているかが気になる。
【タイムラプス】令和5年11月23日(水)6:29〜9:23の伊豆長岡の空。21秒。
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