いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

庭の木の切り株粉吹き秋の暮れ(あ)

 『公募ガイド』秋号が届いた。篠田節子さんのメッセージが巻頭を飾る。

——プロとして心がけていることはありますか。

 小説家としては一作一作が新人のようなもの。昨日と同じものを書いていたらだめ。この人だったらこういうもの、というのはファンにとってはうれしいけれど、書き手には自己模倣の危険と隣り合わせです。小説がルーティンワークになったら終わりという思いが強くありまして、そのつど、新人のつもりでいます。

 「新人のつもり」かあ。なれないなあ。

 書き手は常に「自己模倣」に陥らないか気を配るって、そんなの無理。

 私にはどっかにまだ甘えが潜んでる。知ってるか、渡る世間は鬼ばかりなのだよ。

 苦しめ、もっと苦しめ。もっと苦しい修行を積まないとプロにはなれない。

 

【きょうの一枚】甘夏の切り株。

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 庭いじりをしている。

 教え子が薪の丸太を運んでくれた時に使った分厚いベニヤ合板が庭の隅に立てかけてあって、それをガーデンテーブルにできないかと考えた。まさに「小人閑居して不善をなす」の典型。小人は暇をこくとろくなことを考えない。

 問題は足。庭を探したが足になりそうなのがない。

 パッと思いついたのが、コンクリートブロック。それを足の高さまで積み上げたらどうか。それがいちばん安定しそう。で、コンクリートブロックの単価を知ろうとカブをホームセンターまで走らせた。

 128円。あれ? 99円じゃなかったっけ。10個買ったら1,000円を超えるな。ど〜しよう。どのみちカブじゃ全部運べないからきょうのところはやめとこ。カミさんが来たら車で運んでもらおう。ブロック単価128円かあ。くそ〜、値上がりやがった。

 瓦屋根の穴を塞がないで、そんなことばっか考えてる。

 

【書】「緘」カン(No.1,551)

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「糸と、音を表す咸(カン。とじこめる意→函)とで、はこのとじひもの意。ひいて「とじる」意に用いる。」(『旺文社漢字典第2版』) 

 

【ディジタル画】『道草』十四(No.991)

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 健三の養父・島田から依頼されて来たらしい吉田という人は帰っていった。吉田が帰ってから細君は健三に詰め寄る。「あなた島田と交際つても好いと受合つて居らしつたやうですね」。

 「健三は細君が次の間で先刻の会話を残らず聴いてゐたものと察した」。

 細君は健三が島田と付き合うのを嫌だと思っているが、健三はそうもいくまいと思っている。そういう夫の煮え切らない態度に細君はまたまた不平で腹をふくらませる。

 不平不満たらたらの細君とそれを宥める夫という構図は、なんだかうちと家庭事情が似てなくもない。

 

【昭和の風景】東海道五十三次「鳴海」色付き(No.271)

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 街道を行く人。茶屋で一服する人。人、人、人が増えたなあ、という印象。

 ここも道を青で塗っている。川なら判るが人が往来する天下の東海道だよ。なんで青なんだろ。夕方の雰囲気を出したいがための青なのかなあ。

 

【タイムラプス】令和5年10月6日(金)6:34〜8:51の伊豆長岡の空。34秒。

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