いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

短日を行つたり来たり認知症(あ) 

【きょうの一枚】「認知症」の講座。

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 講座を聴いててだんだん腹が立ってきた。

 「認知症」が、年を重ねれば誰もがかかる”病気”だとは自覚していたけど、それを介護する人の肉体的精神的な疲労を思うとやりきれない。病気にかかる人は勝手にかかればいいが、それを介護する身内の人は大変だ。

 講師の説明を聴きながら、だんだん腹が立ってきたのはそのことである。一体介護する人は、どこで心のバランスを取っているのだろうか。よく我慢して介護を続けてるよなあ。

 週に数度だけケアするならいいが、身内の介護となるとそうも言っていられない。朝から晩まで介護に振り回される。だから、「死んでくれて本当によかった」というのは偽らざる本音だと思う。

 「なんであたしがこんなことしなきゃいけないの?」と思いながら24時間世話をする。そんなだもの、「いい加減、早く逝って」と思うのも無理からぬ道理だ。

 これからはそんな身内がどんどん増えてくる。

 好きでかかった病気ではないけれど、長生きするということは、どこかしらで誰かに迷惑をかけているということだ。

 自分一人で生きているふうな強がりを言っても、何かしらの世話になっている。それが嫌ならとっとと死ぬのがいちばん。死ねば介護をしなくて済む。身内の苦労を思うんだったら、世話なく死ぬのがいちばんいい。

 とうとう日本は百歳の時代を迎えた。周りは「私も長寿にあやかりたいわ」ときれいごとを並べながら、「早く死ね、このくそ爺い」と裏で舌を出している。

 私が長生きしたいと思わないのは、長生きすればそれだけ多くの人に迷惑をかけることになるからだ。舌を出されてまで長生きしたくない。

 人間には寿命がある。神様が授けた天命がある。

 年を取れば体のあちこちにガタがくる。心もそうだ。長生きすればするほど自分でコントロールできなくなる仕組みになっている。

 周りにコントロールされてまで長生きしたいとは思わない。それは自分という皮を被った他の何かで、自分ではない。それでも自分でいたかったらこの世から消え去るしかない。

 

【書】「慮」リョ・おもんぱかる(No.1,597)

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 心と、音を表す〓(ロ。慮から心のパーツを取り除いた形。リョは変化した音。並べつらねる意→臚)とで、心に事物をつらね考える意を表す。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)

 

【ディジタル画】『道草』五十九(No.1,037)

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 健三と一緒に留学していた人から5ポンドのバンクノートをもらった。

 バンクノート? どんなノートだ?

 例によって、また興味の虫が疼いた。

 

【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.317)

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 犬に吠えられる弥次さん喜多さん。 

 いるんだよ、南隣家にもワンちゃんが……。上のお姉ちゃんワンちゃんはおとなしいが、新しくきた下の男の子はヤンチャでやかましく吠える。

 そろそろ隣のご主人の顔を覚えてもいい頃なのになあ。ちっとも覚えてくれない。

 

【タイムラプス】令和5年11月21日(火)7:25〜9:11の伊豆長岡の空。26秒。

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