いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

人生の糧とは何ぞいわし雲(あ)

 久々に市の図書館で本を借りた。

 久々すぎて、「図書館利用券」をどこに仕舞ったか忘れてしまった。

 捨ててないから家のどこかにあるはずだが、それがどこだか判らない。探すより新規に作ったほうが手っ取り早いと思ってそうすることにした。

 カウンターの人にその旨を伝えたら、新規で作ると以前のカードが使えなくなるがいいかと訊かれた。新規のカードが使えるならば古いカードは要らない。ので作りますと答える。

 最近この手の忘れ物が多くなった。年だろうか。きっとそうなんだろうな。

 年をとると物忘れが多くなる。それは判っていた。はずなのに、私だけは違うと思っていた。

 そんなわけない。年とともに物忘れが増えるのは人類普遍の法則だ。

 おお嫌だ。嫌だけど、年をとるとはそういうことだ。

 何だか、この世に生きていたという実感が一枚一枚剥がされていくようで寂しい。

 でも、それが実態なんだ。

 判りきったことだけど、年をとるということは、いつまでもこの世に生きながらえてはいられないということなんだ。

 

【きょうの一枚】借りてきた本のとびら。

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 一口に本と言ってもいろいろ名称があって、はて、この部分はなんていうんだろうと改めて調べた。ハードカバーを捲ると、「見返し」があって「とびら」がある。その後に口絵が続く。

 借りた本の「とびら」はこんなふうになっていた。

 これも、やがて電子書籍が幅を利かせるようになれば、無用の長物として捨てられるのだろう。

 

【書】「盤」バン(No.1,581)

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「皿と、音を表す般(平たい意→凡・板)とで、大きいうけざら・はちの意を表す。槃と通用する。」(『旺文社漢字典第2版』)  

 

【ディジタル画】『道草』四十三(No.1,021)

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 夜中、島田と細君の御常が健三の傍で激しく罵り合うようになった。泣き出す健三。

 ある晩、島田は後妻の御藤さんの連れ子御縫さんと健三を連れて汁粉屋へ行った。

 その晩、家に帰ってから健三は、島田の細君の御常に顚末を訊かれる。

 「汁粉屋で(島田は)御前を何方へ坐らせたい。右の方かい、左の方かい」

 いや驚いた。そんな細かいところまで訊くんだ。知ってどうすんだろ。 

 

【昭和の風景】十返舎一九・自画像(No.301)

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 市の図書館から本を借りてきた。

 これから挿絵を描くのに、どれを原本にするかいろいろ迷った。迷って手にしたのが、中村幸彦氏校注の『東海道中膝栗毛』。

 そこの口絵に十返舎一九の自画像が載っていた。一九は文才もさることながら絵心にも長けていたと聞く。その自画像を模写した。いや、さすが、上手いわ。飛ぶように売れたというのもよく判る。 

 

【タイムラプス】令和5年11月5日(日)6:05〜8:11の伊豆長岡の空。31秒。

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