いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

亡き父の兵児帯の穴ひやゝかに(あ)

【きょうの一枚】亡父の兵児帯。

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 父が亡くなったときに形見として譲り受けた兵児帯。

 和服を着る習慣のなかった私は、譲り受けたものの、どうしていいか始末に困った。

 ひとまず修繕の足しにならないかと伊豆の家へ持って行き、部屋の入口に暖簾代わりに兵児帯を垂らしたらどうかと考えた。平安朝の几帳のイメージだ。

 我ながらいいアイデアだと思ったが、すぐさま悪戯好きの孫どもに目をつけられた。部屋の中が透けて見えないようにしたのが不満だったらしく、孫どもの格好の餌食にされた。ハサミで兵児帯にジョリジョリ穴を開けられてしまったのである。

 それもまたよしとそのままにしておいたら、今度は開けられた穴にわざと肘を引っかけ、さらに穴が大きくなってしまった。

 そして今日、私自らの不注意でとどめの引っ掛けをジョリっとやらかしてしまい、穴が穴でなくなる寸前まできた。

 首の皮一枚でやっとこさつながったところでテープで補強したが、補強したらかえってみすぼらしくなった。

 そんなとき、平安朝の貴族たちはどのようにして几帳を補強したんだろう。

 

【書】「髪」ハツ かみ(No.1,580)

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「〓(髮から犮を取り除いた形の「かみ」と、音を表す犮(ハツ。はえる意→発)とで、頭にはえる「かみ」の意。」(『旺文社漢字典第2版』)  

 

【ディジタル画】『道草』四十二(No.1,020)

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 「彼(健三)の我儘は日増に募つた。自分の好きなものが手に入らないと、往来でも道端でも構はずに、すぐ其所へ座り込んで動かなかつた。ある時は小僧の背中から彼の髪の毛を力に任せてむしり取つた。ある時は神社に放し飼の鳩を何うしても宅へ持つて帰るのだと主張して已まなかつた」って、相当甘やかされて育ったんだな。

 そうなりゃ当然「云へば通るとばかり考へるやうにな」るわなあ。

 輪番がどこかで『全集』のとずれた。どこでずれたか判らないが、ずれたのが判った時点で直しとく。だから、前回も「四十二」番だけど、申し訳ない、今回も「四十二」番とさせていただく。

 目的が楽しみながらディジタル画を描くことだから、順番なんて、まあいいか。

 

【昭和の風景】十返舎一九(No.300)

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 『東海道中膝栗毛』の作者。

 生まれは駿河国府中とされるが謎が多い。

 享和2年(1802年)に出した『東海道中膝栗毛』が大ヒットして、一躍流行作家となった。

 文才にくわえ絵心があり、挿絵も自分で描き、版下も書くという、版元には便利な作者であった。

 晩年は創作には手を出さず、飲酒により身体に不自由をきたし、孤独な最後だったとされる。

 天保2年(1831年)8月7日、67歳で没。

 辞世の句は「此世をばどりやおいとまにせん香とともにつひには灰左様なら」。

 

【タイムラプス】令和5年11月4日(土)7:36〜9:42の伊豆長岡の空。30秒。

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