【きょうの一枚】大礼祭の豆絞り。
今日(11/3)は地元神社の大礼祭。地元公民館から1号・2号と山車が2台スタートして地元を練り歩く。私は地元公民館で配られた豆絞りを受け取り山車2号車専属で交通整理をすることになった。
その山車2号車にトラブルが起きた。狩野川支流の深澤川の左岸から橋を渡って左折し、公民館に戻る手前の坂道で横転。
ブレーキが思うように効かなかったらしい。
山車の上で「しゃぎり」演奏をしていた方が弾き飛ばされて側溝にうずくまっていた。打ちどころが悪かったらしく、その人は自力で這い上がれない。意識があるかどうかも判らない。仲間に救い出され、救急車が到着するまで人工呼吸を受けていた。
その山車にくっついていた某交通指導員が救急車を呼び、私は、救急車が事故現場まで辿りつけるように主要道路まで走って交通整理を行った。だから、事故現場のその後を見ていない。
山車2号が運行中止になり、昼食後、私は別の地区の交通誘導を担当することになった。連絡のやり取りは全てケータイ電話。これ一台持っていなければ何もできない。出がけに自宅デッキにケータイを置き忘れてきたことが悔やまれた。
警察の人に立番要員の増加を頼まれて事故現場に戻ったが、道路の途中には通行禁止の黄色いテープが張られていた。そのため、それ以上奥へは進めなかった。
昼食を摂ろうと事故現場の様子を確認しがてら公民館に戻ろうとしたら、ちょうど向こうから交通指導員が3人やってきた。その中にリーダーがいた。
通行禁止のテープの手前にはいつの間にか報道陣が群がっていた。私が例大祭の資料を尻のポケットから引き抜くと、報道陣の群れは血肉のにおいを嗅ぎつけたハイエナのように私を取り囲む。資料にはリーダーのケータイ電話番号が記されてあり、奴さんたちはその情報が欲しくて私の資料に群がったのだった。
そのエネルギーに圧倒された。溢れんばかりの使命感を燃えたぎらせて、事故の真実を伝えようと躍起になっている。
なんで? なんでそんなに燃えるの? もっと大変な地域が世界のあちこちにあるというのに……。私にはそれがとても不思議だった。
【書】「播」ハ・まく(No.1,579)
「番(ハン。ハは変化した音。たねをまく意)に扌(手)を加えた字。」(『旺文社漢字典第2版』)
【ディジタル画】『道草』四十二(No.1,019)
長火鉢はかつて我が家にも移動式のがあったが、孫と一緒に住むようになってから邪魔だと下の車庫に撤去した。
ストーブのない時代は、これ一つで寒いシーズンをやり過ごそうとした。が、無理だった。暖房には向いてない。それがよ〜く判った。
【昭和の風景】東海道五十三次「三条大橋」色付き(No.299)
長く続いた東海道浮世絵シリーズも今回で終了。
次回からは十返舎一九著『東海道中膝栗毛』の挿絵を描きます。
乞うご期待。
【タイムラプス】令和5年11月3日(金)5:27〜15:40の伊豆長岡の空。38秒。
今回からFacebookの紐付けアドレスが変更になったみたい。見たことのない文字の羅列が出てきた。
今朝は早くに家を出ることは知っていたが、出る時にケータイを忘れた。務めを終えて家に戻り、まず先にやったのはケータイを2階デッキから引きずり下ろすことだった。