三島・大場の病院で定期検査。なのだが、財布に入っているとばかり思っていた診察券がない。
気づいたのは病院で受付をする時。それまで全く気づかなかった。
バイク事故を病院に報告。したら、事故で担ぎ込まれたときのことを看護師さんは知っていた。
事故は8/7(月)。雨あがりの坂道をバイクで下っていてこけた。そこへたまたま知り合いが通りかかり、救急車とパトカーの手配をしてもらった。
救急車内で応急手当てをしてもらい、警察の調書に全面的に協力した。すると警察は「自賠責保険」の提示を求めた。今持っていない家にあると告げると、若い警察官が私のカブにまたがって家までやってきた。ナビは私が務めた。保険証を渡すと、「コピーを撮らせてもらいます」と言って警察のワンボックスカーに戻って行った。コピー機はそこに積んであるらしい。その間に救急車は用が済んだとばかりに戻って行った。
コピーを終えた警察官が「病院に行きますかどうしますか」とやたらしつこく訊くので、大した怪我でもないから行かないと病院行きを断った。そうしたら、警察も「そうですか」と言って去っていった。
そこへ北隣家の奥さんが、何事だとばかりに家から飛び出してきた。私のTシャツが血だらけなのに気づいて病院まで車を出すという。その病院が三島・大場の病院だった。
あのときは世話になったと病院に挨拶をして、その時の費用を請求してもらった。その病院への未払いがずっと気になっていた。そして、その後の経緯を簡単に報告し、今はリハビリ治療で近くの病院に通院していると告げた。
ということで、今日はリハビリ通院(田京)→事故後の報告(三島)→交通指導員定例会(市役所)と3カ所をハシゴ。帰りはカメさんデーのスーパーに寄り、徒歩で帰宅。時計を見たら22:00を過ぎていた。ふう、疲れました。
【きょうの一枚】この雲の形。
何だろう、この雲の形。初めて見る。
群れから外れた鯨の親子が並んで泳いでいて、それを下から仰ぎ見る私がいる。そんな詩にでもなりそうな構図だ。
雲の形から見ると、上空はすっかり秋の気配なのに、下界ではまだ夏の暑さが残っている。そんな感じだ。
この分だと、秋を感じる前に、あれっ? いつの間にか冬になっていた。秋はどこへ行ってしまったんだろうということになりかねない。
奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき(『古今集』秋上215 猿丸大夫)
人里離れた深山で、紅葉を踏み分けながら恋しいと鳴く鹿の声を聞いていると、いよいよ秋も深まったなあと感ずるのです。てな意味でしょうか。
こういう趣の心をいつまでも忘れないでいたいものです。
【書】「望」ボウ・モウ(No.1,541)
「朢が原字。目を見張って、背のびをし遠くをのぞんでいる形に月を加えて、満月をのぞみ見る意。転じて、満月の意を表し、また「のぞむ」意に用いた。」(『旺文社漢字典第2版』)
【ディジタル画】『道草』三(No.981)
健三(『道草』の主人公)は、「……自分の読みたいものを読んだり、書きたい事を書いたり、考えたい問題を考えたりしたかった。それで彼の心は殆んど余裕といふものを知らなかつた……」。
考えごとをしていると、つい時間の経つのを忘れてしまう。やろうと思っていたことが殆どやれないまま一日が終わってしまう。
仕事をリタイアし、悠々自適の隠居暮らしに憧れて伊豆に引っ込んだが、やるべきことが次々と湧き起こってそれどころではない。それはとりも直さず、どうでもいいようなことを頭の中でぐだぐだ考えているからに違いない。『道草』を読んでそう思う。
人は、何もしていないように見えても、実はいろいろ考えごとをしている。それで余裕を使い果たしている。
余裕を取り戻したい。残り少ない人生を、もっと自分のやりたいことに使いたい。体力の衰えをひしと感じながらそう思う。
風景画は、谷中の辺り。
【昭和の風景】東海道五十三次「御油」色付き。(No.261)
「留め女」のパワーは凄まじいね。それは色を塗っても変わらない。いや、益ます磨きがかかったように見える。
色をつけるというのは、描くほうからすると退屈極まりないが、見るほうからすると、カラフルで楽しめるのかもしれない。
それにしても、今回の色付けには驚いた。街道が青色なのだ。だけど川には見えない。青色なのにしっかり道に見える。不思議。いやあ、勉強になります。てか、描いてみないと気づかないよね。
【タイムラプス】令和5年9月26日(火)7:20〜9:59の伊豆長岡の空。39秒。