いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

秋の朝庭テーブルのカレーかな(あ)

 リハビリ治療5回目。X線診療は次回で終了の予定だが、リハビリはどこまで続くか判らない。

 「お身体の痛みはいかがですか」とリハビリ療法士に訊かれるが、痛いといえば痛いし、痛くないといえば痛くないと答える。結局、どっちなんだと言われても困る。痛いときもあれば痛くないときもある、としか言いようがない。

 実際そうなのだ。ダメージを受けたのは上半身の右側で、左側は今もすこぶる元気。腕を後ろに回すときに左腕は難なく後ろまで行くのに右腕はそうならない。途中で痛みを覚える。痛みを覚えるということは、今の段階ではまだ完治していないということだな。

 今日は一人で庭いじりをすることの危険性を療法士に語った。

 久々に庭いじりをしようと物置から脚立を取り出して、それに乗っかって八重桜の枝を剪定していた。ら、雨でぬかるんだ庭土に足を取られて脚立が傾いた。必死に桜の枝にしがみついたら、頼みの枝がぽきんと折れて、あわや崖下へ脚立ごと落っこちそうになった。

 教訓。庭いじりで脚立を使うときは、複数いるときにすべし。一人だと落っこちても気づかず干からびて発見される可能性がある。

 それを聞いてリハビリ療法士は笑っていたが、笑いごとではない。たかが庭いじりでもこっちは命懸けなのだ。

 

【きょうの一枚】庭のテーブルで食すカレー。

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 冷凍保存していた飯をチンして盛ったご飯のヘリにミニトマトを並べる。その上に練り込んだ納豆を載せ、さらに上からレトルトカレーを添える。書いてて、なんとも手の込んだ朝ご飯のように思えるが実際はそんなに手が込んでない。

 頭の上では蜂が羽音を立てて飛び回り、テーブルには下から小さな蟻が這い上ってくる。私はスマホをテーブルに置いてスメタナの「モルダウ」を流す。晴れ渡った秋空を仰ぎながら、カレーをひと匙口に頬張る。う〜ん、旨い。

 自然に囲まれて食す食事って、なんでこんなに旨いんだろう。

 

【書】「趣」シュ(No.1,563)

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「走と、音を表す取(シュ。せかせる意→促)とで、急ぎ急かして走らせる意。転じて「おもむく」意に用いる。」(『旺文社漢字典第2版』) 

 初対面の自己紹介の時などに、「ご趣味はなんですか?」と訊かれるとしどろもどろする。はて、趣味ってなんだっけ? 

 その「趣」である。漢字の成り立ちを思うに、なぜ「走」なのか、いまだによく判らない。

 

【ディジタル画】『道草』二十六(No.1,003)

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 「梳手(すきて)」という職業の女性がいる。女髪結の助手として、髪結の前に髪を梳く準備の役目をする者をそう呼ぶ。いわば、髪結の見習いといった地位か。

 比田宅に御勢という女性が来ていた。その人が「梳手」。健三がまだ幼い頃、健三の遊ぶ頃合いによく来ていたというが、健三は思い出せなかった。

 「梳手」の連想から日本髪の江戸時代の女性を描いてみた。そうか。日本髪一つ結うにも、梳く人と結う人がいたのか。

 

【昭和の風景】東海道五十三次「亀山」色付き(No.283)

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 色をつけるとなると、ついいろんなところに色を塗りたくなってしまう。それがいけない。塗ろうと思えば塗れるのに、あえて塗らない潔さもときには必要だね。

 紙が貴重だったその昔は、墨を一つ垂らすのにも、指が震えるほど神経を使ったのではないかな。ディジタル画が華やかになった今も、その緊張感は持ち続けたいと思う。

 

【タイムラプス】令和5年10月18日(水)6:07〜8:53の伊豆長岡の空。20秒。

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