【きょうの一枚】お世話になった交番。
これまで公私ともどもお世話になった交番が先月閉鎖した。長い歴史を持つ交番で、閉所式に呼ばれたが、ちょうど病院の世話になっていて出られなかった。
すぐ近くに本署が移転して来て、今はその中に収まっている。玄関のガラス戸がベニヤ板で塞がれるのを見ると、新しい時代が到来したことを強く感じる。
そうか、近所の神社の宵宮へ急ぐ浴衣姿の女人が、突っ掛けで通り抜けるさまを見守るお巡りさんもいないんだな。なんか寂しいな。
【書】「徹」テツ(No.1,530)
「彳(みち)と〓 (テツ。徹から彳を取り除いたパーツ。つらぬく意)。とで、道をつきぬける意、ひいて「とおる」意を表す」(『旺文社漢字典第2版』)
【ディジタル画】『彼岸過迄』松本の話五(No.970)
市蔵(須永)は須永の子ではない。当時の小間使が須永の種を宿したのだそうだ。
真実を知らされた市蔵はどう思ったか。恐れた。
しかし、本当の親子でなくても本当の親子のように仲が良かったらしい。
そういうものかもしれないな。
血のつながった親子がいがみ合うよりも、その方が二人の先々の幸せにとっては良かったかもしれない。それぞれに秘密を抱えながらも、だから余計に本当の親子のように仲睦まじく振る舞おうとするんじゃないかな。
【昭和の風景】東海道五十三次「舞坂」白黒。(No.250)
「舞坂」の地名を音読みで聞いたときは耳を疑った。私の苗字と聞き間違えたのである。
今は青森に住んでいる実の兄が上京したての頃、京浜東北線の「おおもり」を「あおもり」と読み間違えたのと同じような過ちをした。
私が田舎の地名と似た発音を聞くと、ピンと反応してしまうのは、都会に対する言語的劣等意識がその裏にあるからだ。聞きなれた人は、そんな反応しないもの。
土着の言葉は、小さい頃に覚えた言語だから使えないことはないのだが、使わないのは、言うと恥ずかしいという思いが先に立つ。
なぜ恥ずかしいか。それは都会の人に比べて文化的に劣っているという意識がはたらくからだ。
かつて、「方言を話すのをやめて標準語を話そう」という学校教育が存在した。今では信じられないことだが、日本にもそういう時代があったのである。
方言は土着の言葉で、その土地でなければ通じない。何を言っているか判らないのは、標準語を使わないで方言を使うからだ。だから、方言を使うのをやめて標準語を使えばいい。そうすれば判らないことも相手に判ってもらえる。そういう乱暴な主張がまかり通って「標準語」教育という教育が実践された。
そんなことをしたがために日本の社会はどうなったか。方言を使う人は文化的に劣っている野蛮な人と見られ、標準語を話せる人が偉い人で、標準語を話せない人が偉くない人というレッテルが貼られたのである。
「標準語」教育では、学校で使う教科書は、それこそ「標準語」で読まなければいけなかった。全ての教科書がそうだった。
「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」。言わずと知れた鴨長明著『方丈記』の冒頭である。これを暗記させられた。暗記するには方言は不可で標準語でなければいけなかった。そんな馬鹿馬鹿しい教育が実践されたのである。それが「標準語」教育。ならば、教科書に載っている宮沢賢治の『永訣の朝』という詩はどうか。「(あめゆじゅとてちてけんじゃ)」の「とし子」の独白をどう読ませたらいいのか。方言でなければ表現できないではないか。
【タイムラプス】令和5年9月15日(金)7:32〜9:10の伊豆長岡の空。23秒。