いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

猛毒の茸に生まれ悲しかり(あ)

【きょうの一枚】キノコ。

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 庭いじりをしていたら庭木の下暗闇からキノコが顔を出した。椎茸に似てる。旨そう。いやいや毒だから。

 

【書】「図(圖)」ズ(No.1,531)

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「囗(かこみ)と〓(鄙から阝を取り除いた形。耕作地域」とで、領土の地図の意。ひいて、図画、借りて「はかる」意に用いる。」(『旺文社漢字典第2版』) 

 

【ディジタル画】『彼岸過迄』松本の話六(No.971)

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 本文に「彼(市蔵)は、しばらく庭(松本の家の庭)の方を向いて、麗かな日脚の中に咲く大きな椿を眺めていたが、やがて視線を故に戻した」とある。「椿」とな。

 うちの庭にも「椿」が植えられてあって、ピンク、白、赤の3種ある。ピンク、白は八重だが、赤い椿だけ五辨に咲く。咲いている姿もあまりきれいじゃないところから推して「藪椿」ではないかと思っている。3本の椿は、いずれも前のオーナーが植えたもの。

 『五辨の椿』の連想で、作者の山本周五郎が浮かんだ。

 山本周五郎を描くに当たっては、せめて『五辨の椿』くらい読まないといけないとブックオフに走った。が、ない。どの棚にもなかった。そんな馬鹿な。おかしいなと思って書架を行ったり来たりしてやっと見つけた。で、値段を見てびっくり。650円もする。

 山本周五郎の文庫本が650円かあ。ブックオフも変わったなあ。何だかブックオフが庶民の手から離れて遠い世界に行ってしまったようで寂しい。

 そこではたと気づいた。もしかして過去に「自炊」したときの作品群の中に『五辨の椿』が紛れているのではないか。

 家に戻ってiPadを開いたら、あった。iCloudに保存されていた。

 片端から「自炊」しまくっていた作品が、今こうして日の目を見ることができたとは嬉しい。あの時は先々のことまで考えずに見境なく「自炊」していたけど、その中にたまたま『五辨の椿』が紛れていたんだ。

 電子書籍だから、ぺらぺらページをめくるのじゃなくiPadで読む。で、読んでいたら、P102にこんなのがあった。

 「夜の十時すぎてから、蝶太夫(役者の名)の死んでいることがみつけられた。彼は平打の銀の釵(おりうが髪にさしていた釵)で心臓を刺されたもので、釵は刺したままになってい、その枕許に一片の椿の花びらが落ちていた。——その座敷に椿などは活けてないので、よそから持って来たものであろう。その真紅の一片の花びらは、まるでなにかを暗示するように、ぶきみな印象を人々に与えた」。

 椿の花は塊ごとぼとりと落ちる。武士はその花の散り方を首切りのようだと忌み嫌う。「まるでなにかを暗示するように」とあるが、もちろん、周五郎はそれが武士の忌み嫌う所作を連想させることは知っている。そして、その「暗示」をどう示すかによって周五郎賞の行方が決まる。少なくとも周五郎賞の肝はそこにあると私は思っている。

 

【昭和の風景】東海道五十三次「舞坂」色付き。(No.251)

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 名物しらす漁だろうか。浅瀬らしい海に何艘も船が出ている。

 

【タイムラプス】令和5年9月16日(土)6:11〜7:57の伊豆長岡の空。26秒。

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