カミさんが来ると、たいがい流しに立つか洗濯機を廻すかしている。
それはそれで助かるのだが、そのとき必ずといっていいほどテレビを点ける。
テレビなんか見ちゃいないのに点ける。
あれって何だろう。
そういう癖がついたのは、たぶん朝のニュースを見てそのまま画面左上に時刻が表示されるようになってからだ。それを時計代わりにしてテレビをそのまま点けっぱなしにするようになった。
以来、何か家事をするときにはテレビを点けるものだとどこかに刷り込まれているらしい。変なの。
私が本を読むのに部屋の灯りをつけていると、勿体無いからと言ってそれを消しに回る。消されるとさすがに暗い。本が読めない。が、部屋を暗くしてもテレビが見られればカミさんとしては満足らしい。部屋の灯りよりテレビを点ける方がよほど電気代が嵩むと思うが、そんなことを言ったら張り手が飛んでくるから言わない。黙って外へ出てむしりたくもない草をむしる。
カミさんは無類の大相撲好きで、横綱不在の場所であってもテレビを点けることを忘れない。横綱は休場してるよと言っても、あっそう、で済ましてしまう。あとはひたすらテレビと睨めっこを決め込んで、トビザルとか何とか叫んでる。それが庭から聞こえる。
マワシ一つの裸のぶつかり合いがそんなに面白いか。私にはその面白さがさっぱり判らない。で、灯りを消された腹いせというわけではないが、ケータイの音楽を大音量にして、力任せに草をむしるのである。
【きょうの一枚】魚屋。
ホームセンターの向かいにあった魚屋が移転した。
どこに移転したか。
降ろしたシャッターに移転先の地図が貼ってあったので、見たら、ホームセンターのガーデンコーナーがあった場所だった。
そのまま居抜きで魚屋に仕立てたらしい。でも、もともとホームセンターの仕様で、魚屋にしては広いし、だいいち天井が高すぎて落ち着かない。
カーテンで仕切った脇にドリンクコーナーがあって、あっ、これ、コンビニを真似たなと思ったが肝心の客はもぬけのから。
そりゃそうだ。魚屋で魚買ったら、すぐに家に帰って冷蔵庫に仕舞いたいもん。のんびりビールを頼む客なんていないよ。無駄に広いだけで何の役にも立たない。それに呑んで帰ったら飲酒運転だべパトカーに呼び止められちゃうよ。
【書】「肇」チョウ(No.1,529)
「〓(肇から聿を取り除いた形。戸をひらく意)と聿 (筆)とで、筆で書きはじめる意を表す。」(『旺文社漢字典第2版』)
【ディジタル画】『彼岸過迄』松本の話四(No.969)
須永は叔父の松本の前で涙を流す。
男の涙を描くのは難しい。
濡れたまつ毛をどう表現するか。同時に、泣くまいと堪えながら頬を伝う涙をどう表現するかに腐心した。
【昭和の風景】東海道五十三次「浜松」色付き。(No.249)
焚き火の煙の描き方が、ゴッホの「糸杉」のそれに似ていると思った。
また、焚き火に手をかざして煙たがっている様子が描かれていて、こういうところにも手を抜かない広重の思いが伝わってきた。いやあ見ていて飽きない。描いて面白い。
レイヤーの順を間違えたことに途中で気がついた。輪郭の上から色を塗ってしまって、あれ? 変だなと思った。とほほの描き直し。
【タイムラプス】令和5年9月14日(木)6:19〜8:29の伊豆長岡の空。32秒。