【きょうの一枚】病院の受付と会計を済ませるカウンター。
今や事務処理は全部パソコンお任せになった。パソコンがなければ何もできないとい言っても過言ではない。かくしてパソコン操作を自由自在に操れる人=万能の人と錯覚されるようになった。
その時、パソコンに不具合が生じたらどうするんだろう。事務処理が一気に頓挫することは火を見るより明らかだ。
ありうる話だ。みんなパソコンを万能のように崇め奉っているが、果たしてそうだろうか。ケーブルに足を蹴つまづかせるだけで、たちどころにデータが吹っ飛んでしまう。そういう危うさを秘めているのがパソコンだ。過信してはいけない。
普段世話になっているパソコンがもしも使えなくなったらどうするか。その時のことを考えておく必要があろう。全部SEに責任を被せるのはどうかと思う。SEが全面的に悪いわけではない。
リハビリ治療の前に必ず血圧を測る。使用している血圧測定器が弾き出す結果に間違いはないという絶対的な信頼がある。私はそれが不思議でならない。血圧は測るたびに異なるデータが出る。なのに、たったの一度だけのデータを後生大事にカルテに書き残す。それって、果たして信ずるに値するデータなのか。
機器に文句を言っているのではない。機器が弾き出すデータを全面的に信じる人間の危うさに文句を言っているのである。
【書】「団(團)」ダン(No.1,528)
「囗(まるいかこみ)と、音を表す專(ダン・タンは変化した音。まるめる意→摶)とで、「まるい」、かたまりの意を表す。」(『旺文社漢字典第2版』)
【ディジタル画】『彼岸過迄』松本の話三(No.968)
松本は市蔵(須永)にとって叔父さんにあたるが、その叔父さんの容貌が幕末の歌人・橘曙覧と重なっていけない。
橘曙覧といえば『独楽吟(どくらくぎん)』。
「たのしみは紙をひろげてとる筆の思ひの外に能くかけし時」
私の好きな和歌である。
福井市では、「令和独楽吟ー橘曙覧顕彰短歌コンクール」を毎年開催している。「たのしみは……」で始まり「……とき」で終わる作品を、今年は11月30日まで募集するそうなので興味ある方はどうぞ。
ちなみに私の「たのしみは……」なんだろう。
「たのしみは鼻毛を抜いて来し方を鏡に映す朝迎ふとき」
ちょっと捻ってみた。やっぱ、駄作だな。そんなことしか思いつかないのかよ情けない。
【昭和の風景】東海道五十三次「浜松」白黒。(No.248)
構図が「袋井」のそれと似ている。先に袋井宿を描いているから、それに比べると浜松はどこか陳腐に見える。画に面白みを感じない。
東京に浜松町という場所があるが、そこは土地一帯の名主が遠州浜松出身だったため名付けられたらしい。えっ、そうなの?
背景の家並みに城の影が見えるが、特徴としてはそれくらいなものか。今や静岡県第二の政令都市だけど、どことなく寂しさが漂う。
【タイムラプス】令和5年9月13日(水)6:05〜9:29の伊豆長岡の空。25秒。
富士山上空も筋雲が目立つようになってきました。秋ですねえ。
巷ではまだまだ暑さが残るけど、自然の空はすっかり秋模様のようです。