退院後初の担当医診察。
レントゲン撮影をして鎖骨のくっつき具合を診た。
診察室に呼ばれて、担当医と一緒にレントゲン撮影の画像を見る。
鎖骨はまだ引っ付いてなかった。が、担当医から、快方に向かっていることは間違いないとのお墨付きをいただく。「次に来るのは、一ヶ月後でいいでしょう」。
おお、そんなに順調なのか。このままの調子でいけば元の身体に戻るのは時間の問題だな。
身体はまだ元の健康な状態ではないみたいだが、それとは別にカブをぶいぶい言わせて走り回っている(知れたらカミさんに怒られる)。右にカーブを切るときに若干バランスを崩すきらいはあるが、それ以外はこれまた順調。やっぱり田舎はガソリンで走る乗り物を自由に転がせないと生活できないわ。そのことを実感している。
教訓。田舎の暮らしには年齢に関係なく車は必需品である。教員免許なんてなくてもいいから、骨を折っても車の免許だけは欲しい。
【きょうの一枚】モグラのこしらえた山。
たぶん、モグラがこしらえたのだと思う。こういった山が、庭のそちこちに見える。が、モグラ君の姿はついぞ見たことがない。
モグラは何ゆえにこんな山をこしらえるか。地中のミミズを追いかけているのである。ミミズがいるということは、それだけ土壌が肥えているということだな。
いいことばかりではない。ミミズを追いかけているだけならいいが、モグラはミミズを追いかけて地下に空洞を作る。空洞を作って庭木を枯らしてしまう。それでいつぞや柚子の木がご臨終あそばした。特に土壌の生態に詳しいわけではないが、柚子の実が成らなくなったのはモグラのせいだと思っている。
毎年の収穫を楽しみにしていた柚子だったが、こうしてダメにしてしまった。今にして思えばとても残念でならない。
【書】「寝」シン(No.1,519)
「宀(家)と、はらい清める意のパーツとの組み合わせで、清浄な霊廟の意、のちに爿(寝台)を加え、病人が霊廟に寝て悪霊を払ったことから、ねやの意、さらに「ねる」意に用いられた。」(『旺文社漢字典第2版』)
【ディジタル画】『彼岸過迄』須永の話二十九(No.959)
面白い表現を見つけた。
「僕は僕の前に坐ってゐる作(さく・女中)の姿を見て、一筆がきの朝貌の様な気がした」。「一筆がきの朝貌」だって。どんな容貌だ?
「飾り気のない清楚な」くらいの意味なんだろうけど、漱石先生、粋な表現をしますねえ。これ、いただき。
朝顔(貌)を一筆がきで描いてみた。こんな感じかなあ。
【昭和の風景】東海道五十三次「金谷」色付き。(No.239)
大人数の渡り場衆の裸ん坊たち。肩車に乗せて運ぼうとする人、雨あがりの空模様を気にしている人、出番なくくつろいでいるふうの人など、こまいけどそれぞれの人足のさりげないポーズが豊かです。
【タイムラプス】令和5年9月3日(日)6:40〜8:11の伊豆長岡の空。22秒。