【きょうの一枚】『オール讀物』9・10月合併号。
この文芸誌今号に第169回直木賞受賞作の一部が載っている。
前回は、垣根涼介さんの『極楽征夷大将軍』の選評を紹介したので、今回は、同じく受賞の栄冠に輝いた永井沙耶子さんの『木挽町のあだ討ち』の選評を紹介する。
京極夏彦さん:『木挽町のあだ討ち』は、語り手を変えた〝自分語り〟の短編を積み重ねることによって構成される長編の態を取る。一人称の〝自分語り〟だけで短編を成立させる場合、その饒舌さが仇となるケースが多いが、本作はその点を見事に逆手に取っている。……
浅田次郎さん:『木挽町のあだ討ち』は、精緻なアラベスクを見るような小説であった。いわゆる聞き書き形式の筋立てで、語り手たちのキャラクターはよく考えられており、それぞれの人生も面白く描けていた。……
伊集院静さん:小説には、読む愉しみがある。『木挽町のあだ討ち』はその愉しみを見事に教えてくれた。……
角田光代さん:『木挽町のあだ討ち』は、設定、構成がみごとである。芝居小屋を舞台に、関係者一同が一丸となってひと芝居うつ。木戸芸者、立師、仕立屋、小道具係、脚本家と、それぞれにつらく苦しい過去を持つが、小説の最後、他者を救うためにその過去を生かす。黒かった駒がみごとに白くなっていくようなこの終末を読むと、ままならない人生への強くうつくしい肯定を感じる。……
林真理子さん:永井沙耶子さんの『木挽町のあだ討ち』であるが、私は途中までこの仕掛けにまるで気づかなかった。そして読み進めるうち確信に変わり、「やられた」という感じになったのである。……
宮部みゆきさん:『木挽町のあだ討ち』は、読み終えるとタイトルに至るまで繊細な気配りがされていることがわかる、上質のエンタテイメント・ミステリーです。……
桐野夏生さん:『木挽町のあだ討ち』は、凝りに凝ったロンド形式で、作者の才気が伝わってくる。まるで『木挽町のあだ討ち』という芝居を見ているような構成がうまい。……
高村薫さん:『木挽町のあだ討ち』は、王道の時代小説のいわゆる人情ものである。庶民が肩を寄せ合って暮らす下町の芝居小屋を中心に、そこに集う訳ありの老若男女が各々の目の前で起きたあだ討ちの顛末を語る、その饒舌な語りは十分に芝居がかっていて読者を酔わせるが、肝心のあだ討ちの仔細が故意にぼかされていることの不全感は如何ともしがたい。……
三浦しをんさん:『木挽町のあだ討ち』は、登場人物の生き生きといた語りに惹きこまれ、拝読しながら、思わず笑ったり涙したりするうち、活気あふれる江戸時代の芝居小屋に自分も居合わせたような気持ちになった。……
ストーリーの語り口が絶妙。素晴らしい。天下一品。
【書】「実(實)」ジツ(No.1,511)
「宀(家)と貝(財宝)と周(みちる意。毋は変化した形)とで、家の中に財宝がみちている意。ひいて、みちる意、転じて「みのる」「み」の意に用いる。」(『旺文社漢字典第2版』)
再開するに当たって、今回から漢字一字にしてみた。が、どうも座りが悪くて落ち着かない。
【ディジタル画】『彼岸過迄』二十一(No.951)
「月琴」という楽器が出てくる。
本文には「……編笠を被って白の手甲と脚絆を杖た月琴弾の若い女……」とある。
「月琴」とは、どんな楽器か。全集注解では「江戸時代に中国から伝わった、琵琶に似た四弦八柱の楽器。明治半ばから大正にかけて流行した」と説明される。
それだけでは判らないのでネットに当たった。ネットには画像があり、音色も聞ける。それで、どんな楽器か立ちどころに判った。
今やネットにあたれば何でも判る。ケータイひとつあれば用足りるんだから、わざわざ嵩張る百科事典なんて買う必要はない。図書館で調べたりもしない。
それにしても、誰が、なんのために、そんなことをするんだろう。苦労して調べ上げたものを惜しげもなく提供するって、一体どういうつもりなんだろう。惜しいと思わないのかなあ。
【昭和の風景】東海道五十三次「丸子」(No.231)
丸子は、今の鞠子。
芭蕉の句に「梅若葉まりこの宿のとろろ汁」とある。
丸子の峠の茶店でふるまわれるとろろ汁は、当時、名物だったらしい。
【タイムラプス】令和5年8月27日(日)7:27〜8:09の伊豆長岡の空。23秒。