7/19(水)、気象庁が、東海地方の梅雨が明けたと発表した。これで、いよいよ本格的な夏がやってくる。
蝉の鳴き声もニイニイゼミからクマゼミに変わった。
変わった途端、鳴き声を聞くだけでいかにも暑苦しい。クマゼミは羽こそ透明だが、図体がでかい。鳴き声もでかい。
そこへアブラゼミが加わると、暑苦しさがピークに達する。こうなればもう、熱中症対策と言いながら水分をガバガバ補給し、家の窓という窓を全開にしてゴロゴロするしかない。そして、ビールで内臓を冷やしながらカナカナの出番をひたすら待つのだ。
【きょうの一枚】日本観光絵図。
先日の古民具展示会に出品されたお宝の中に古絵図があった。伊能忠敬が世に出る前の絵図だから、測量技術もへったくれもなかったのでしょう。蝦夷地は南端の松前藩しか載っていない。当時、蝦夷地はまだまだ未開の地だった。そのことがこの絵図から読み取れる。
注目したいのは、「かな川」と「戸つか」の間に「梶が谷」の宿場が見えること。ここからは金沢の内海へ抜ける道が発達していたらしいが、北に目を向けると、北には大山が見える。大山信仰の大山である。
つまりは、江戸からの大山詣の参詣人は「梶が谷」で一休みし、そこで旅の疲れを癒したのではないか。
今では東急田園都市線の電車駅にその名が残るだけだが、当時は相当賑わったのだろう。大山詣を終えて、さらに旅を続けて江ノ島まで足を伸ばす人もいれば、そのまま江戸に戻っていった人もいた。どっちにするかを、この「梶が谷」の地で談判したのではなかったか。
ぐるっと目を伊豆半島に巡らすと、そこに「戸田」はあるのに「土肥」がないのに気づく。その理由は先のブログで私見を述べたのでここでは割愛する。
【書】「鈴語」れいご(No.1,493)
「風鈴の音。鈴声。」(『旺文社漢字典第2版』)
「鈴」は、金と、音を表す令(レイ。すずの鳴る音)とで、金属製の「すず」の意を表す。
「語」は、言と、音を表す吾(ゴ。かみ合う意→互)とで、たがいにことばをかわす、「かたる」意を表す。
【ディジタル画】『彼岸過迄』雨の降る日 三(No.933)
子供達が学校から帰ってきて、松本家は俄然賑やかになった。
幼くてまだ学校に通っていない宵子の子守りをせっせとやっているのが田口家の長姉・千代子。千代子は宵子の世話を焼くのが楽しくて仕方がないようす。
宵子が履いている足袋も千代子が編んでやったものだ。それはいいのだが、判らないのは「其足袋の紐の先には丸い房が付いてゐて、それが、小さな足を運ぶ度にぱつぱつと飛んだ」という件。どうやら幼児の可愛らしい仕草らしいが、どんなふうに可愛いのか、そのイメージが湧かない。
【昭和の風景】213
「平塚」白黒。
街道(縄手道)の示杭には「ここから先は平塚宿」と書いてあるらしいが、達筆すぎて読めない。読めないけど、そう書いてあるらしい雰囲気が伝わればいいと思って、走り書きふうに描いた。てか、書いてなくても描かれれる風景からそこが平塚だと、たちどころに判る。
奥の、餅が膨らんだような丸まっこい高麗山と、その背後にちらっと顔を覗かせる白富士との対比が面白い。
【タイムラプス】7/20(木)6:45〜9:44の伊豆長岡の空。22秒。