いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

古寺の山門高く蝉の声(あ)

【きょうの一枚】古刹山門。

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 交通安全幟旗横断幕撤去作業のため、朝7時前から市役所へ向かう。

 が、集合場所に誰もいない。出勤職員の車もない。予定時刻よりもだいぶ早く着いてしまったみたい。

 で、せっかくだからと市役所裏の小道がどこまで伸びているかカブで確かめることにした。カブ復活記念だな。

 そうしたら、道の途中にこんな古刹がひっそりと佇んでいた。今どき藁葺二階建山門とは珍しい。そこですかさずパシャ。

 この地区は、市役所のような近代的な建造物があるかと思えば、一歩奥へ入るとこんな古刹にひょっこり出会えたりする。古い建物と新しい建物が混在していて、変わりつつある混沌の流れを感じることができる。

 ここの温泉が発見されたのは明治40年。意外に新しい。漱石が大喀血を起こした修善寺温泉場に比べても遥かにここは歴史が浅い。

 藁を葺き替える職人が皆無となった今、藁葺き屋根を望むのは贅沢の極みかもしれない。が、見てほっこりするのもまた事実。維持管理は大変かもしれないが、次代に残しておきたい風景の一つではある。

 

【書】「路上」ロジョウ(No.1,494)

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「道のほとり。道ばた。路傍。」(『旺文社漢字典第2版』)

「路」は、足と、音を表す各(カク。ロは変化した音。つらねる意→絡)とで、足でふみつらねる「みち」の意を表す。

「上」は、「下」と反対に、基準を示す横線の上方に、短い横線、のち垂線を加えて、物の「うえ」、「のぼる」意を表す。

 

【ディジタル画】『彼岸過迄』雨の降る日 四(No.934)


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 宵子に晩飯の世話をしていたら、突然宵子が千代子の膝の前にうつ伏せて動かなくなった。慌てて医者を呼んだが、医者は「……何うも御気の毒です」と云つた。

 妹が交通事故で亡くなった時、母は町から人形を買ってきて寺の本堂に供えた。それ以来、母は焼香のたびに人形をケースから出しては何かを語り続けていた。  

 

【昭和の風景】214

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「平塚」色付き。

 平塚には10余年住んでいた。横浜に勤務していた頃、平塚の海岸近くに教職員アパートができて、そこへ引っ越した。それまでは横須賀でアパートを経営していたカミさんの実家から通っていた。

 釣りキチ新採用に竿を当てがわれ、投げ釣りの手ほどきを受けたのはその頃である。住む場所が海岸に近いということで勤務地を横浜の西へ移し、平塚で釣り三昧の日々を送った。

 投げ損ねて投げ直そうとリールを巻いたら、仕掛けにピンギスがかかっていたことがあった。すぐ足元の、足をばちゃばちゃさせる波打ち際である。こんなところに魚がいるんだと驚き、以来、投げ釣りに夢中になった。

 朝早くから砂浜に出て竿を振り回し、家でシャワーを浴びてから勤務地へ向かう。勤務地は隣の市にあったが、雨の日も風の日も自転車を漕いで通った。そして日曜の夕食には、一週間かけて釣り溜めたキスやメゴチを捌いて天ぷらにした。

 そんな平塚時代だった。

 だから、平塚のどこに何があるかは大体知っている。ただ、歌川広重の東海道五十三次の浮世絵は、その頃はまだ知らなかった。 

 

【タイムラプス】7/21(金)5:41〜7:34の伊豆長岡の空。28秒。

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