運転免許更新まで歩くことにした。
化石燃料動力に頼る生活をするようになってから歩く習慣が途絶えた。便利だからというので、ついカブにまたがってしまう。足腰の踏ん張りが効かなくなるわけだ。
5/8は市役所の往復、5/9は眼科の往復とひたすら歩いた。そうしたら、スマホアプリの「万歩計」が両日とも2万歩に近い数値を弾き出した。
健康を維持するには歩くのがいちばん。そう思うが、免許があるとつい車を動かしてしまう。近くのゴミステーションにゴミを捨てに行くのだって車を転がすんだから、そうなれば脚力の衰えが脱兎のごとく押し寄せるのは火を見るよりも明らか。スーダラ節じゃないけど、♪わかっちゃいるけどやめられねえ♪ なのである。
今や人間は、とことん楽しようと思う生き物に成り下がってしまった。
【きょうの一枚】駅へ出る時に使う近道。
この下の道を渡ったところに公民館がある。だから、公民館に行く時にもこの道を使う。
この道の隣の人が以前言っていたことだけど、ここは私道で所有者がいるらしい。が、ご好意で所有地を近道として使わせてもらっている。地元小学校に通う児童も使っている。私の孫どももこっちに住んでいる時はよく世話になった。
山の猪はこういう獣道は使わない。アスファルトの道を堂々と歩く。舗装道路を山の神が闊歩し、後から移り住んだ人間が肩身を狭くしつつ土道を通っているのだから可笑しい。山の主にとっては後からノコノコやってきた人間にでかい顔されるのが癪でたまらないのかもしれない。
【書】「報道」ホウドウ(No.1,421)
「知らせる。道は、言う意。報告。<報道機関>」(『旺文社漢字典第2版』)
「報」は、罪人にかける手かせの形と、𠬝(フク。ホウは変化した音。したがわせる意。服の原字)とで、罪人に罪相当の罰を加え、その結果を上奏する意を表す。転じて「むくいる」意に用いる。
「道」は、辶と、音を表す首(シュ・シュウ。トウは変化した音。長くのびる意→条)とで、長く通じている「みち」の意、ひいて、みちびく、また、すじみちの意を表す。
【ディジタル画】『門』二十の一(No.861)
宗助が二度目に目を覚ました時には、宜道が「鼠木綿の着物に襷を掛けて、甲斐甲斐しく其所いらを拭いてゐた」。
寒い朝、赤く凍(かじか)んだ手で雑巾掛けをしてる。が、それとて修行の一環だと思えば平気なのかもしれない。
まあ私には無理だな。ぬくぬくと蒲団にくるまって惰眠を貪っている方が性に合ってる。
【昭和の風景】143
龍第3弾。やはり龍は難しい。でも、龍って、絵心をそそるのに十分過ぎるくらい十分な架空動物であることには違いない。
【タイムラプス】5/9(火)5:16〜8:53の伊豆長岡の空。27秒。
【新型コロナ】厚生労働省5/9版
<国内>
新規の陽性者数→9,310(前日比−5,126)5/8版
陽性者数の累計→33,803,572
現在の重症者数→83(前日比+3)
死亡者数の累計→74,694(前日比+25)
<静岡県>
新規の陽性者数→260(前日比+75)5/8版