いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

百日紅なんちやつてまだ咲いてゐる(あ)

 セラミック二合鍋で炊いたご飯を、一膳食っただけで腐らせてしまった。
 いつもならご飯専用冷凍容器に移して冷凍しておくのだが、昨夜は冷凍し忘れて寝ちまった。
 しまった、やっちまったかと思ったが後の祭り。鍋の蓋を開けたら、あの懐かしい臭いが鼻をついた。ご飯も水分を含んでねちょねちょしている。さすが、糸を引くまでには腐っていなかったが。
 津軽では食物が腐ることを「あめる」と言う。そう、せっかく炊いたご飯を「あめら」せてしまったのでした。それにしても「あめる」という津軽弁、久々に使ったな。すっかり死語になったかと思ってた。
 いつも申し込む新潟のコシヒカリは、5袋全部ママに持たせてやった。だから、家にはストックが1袋もない。どうしようかな。どうせ独り身だし、ご飯なしでしばらく過ごすとするか。 


【今日の一枚】まだまだ元気なサルスベリ(百日紅)。

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 先日の暴風雨であらかた散ったと思っていた百日紅だが、さすが、百日紅という漢字を当てるだけあって花期が長い。百日紅というのは、花が咲き始めてから百日たってもなお花を咲かせるからという。
 その通りで、こうして秋風が吹くこの時期になっても健気に咲いている。


【書】「俎豆」そとう(No.1,160)

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 「祭りのとき供え物を盛る器。転じて、儀礼・儀式。俎は肉をのせる台、豆は高坏(たかつき)。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「俎」は、(肉をのせる台の意。また、助字)に肉を加えて、助字の且と区別した字。
 「豆」は、ふたつきで長い足のある木製などの器の形にかたどり「たかつき」の意を表す。借りて「まめ」の意に用いる。


【ディジタル画】『坑夫』 42(No.600)

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 銅山に「飯場頭」という人がいる。「一の飯場を預かる坑夫の隊長で、此の長家の組合に這入る坑夫は、万事此の人の了簡次第でどうでもなる」というから、相当の権力を持った人である。「自分」は長蔵さんによってその人に預けられた。赤毛布と小僧は別の飯場に案内された。
 その飯場頭が「自分」を「あなた」呼ばわりする。これまで「お前さん」呼ばわりされてきた「自分」は、突然「あなた」の昔に帰って泣きたくなる。
 「苦しい、つらい、口惜しい、心細い涙は経験で消す事ができる。難有涙もこぼさずに済む。たゞ堕落した自己が、依然として昔の自己であると他人から認識された時の嬉し涙は死ぬ迄附いて廻るものに違ない」と言っているように、昔の自己を他人が認めてくれるほど嬉しいことはないのだろう。
 この一年間、孫と一緒に暮らしてみてつくづく思った。子どもにこうあってほしいと思うのは大人のエゴである。子どもは決して大人の言う通りにはならない。でも、子どもに裏切られても裏切られても、大人は大人として最後まで子どもを見捨てない覚悟を持たなければいけない。それが子どもを育てるということなのだと思う。
 今回もすべてConceptsで描いた。


【タイムラプス】8月21日(日)7:26〜9:13の韮山方面の雨空。26秒。

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【新型コロナ】8/21(日)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→253,265(前週同曜日比 +69,669)
重症者数→616(前日比 −11)

伊豆の国市陽性者数→44(前日比 −49)(静岡県HPより)